|
1995年、五年に及ぶ海外生活に終わりを告げ、帰国した地、横浜の街並は思いがけなく『花水木』の街路樹であふれていました。 私たち家族の住んでいた米国ジョージア州アトランタ郊外の街にも『花水木』(ドッグウッド)は、あふれていたのです。私たちの家の庭にも白とピンクの木がありました。そしてドッグウッドは、ジョージア州の州花でもありました。
『イースター』は、春分の日から数えて最初の満月後の日曜日にあたるため、三月の終りの週であったり、またあるときは四月の中頃であったりと毎年変わるのですが、ジョージア州では、毎年その時期を見計らったかの様に、花を咲かせます。
『花水木』を良く御覧になった事があるでしょうか? 四枚の花弁状の葉の変形は十字架を。純白はキリストの 純潔を。花弁状の葉にかすかに浮かぶ赤の紋様は、キリストの血潮を意味すると言われています。そして毎年『イースター』の時期に合わせて咲くのだと聞きました。これはジョージア特有の言い伝えなのかもしれませんが。
私の米国での教会生活は1995年イースターの日から始まりました。そしてこの日は奇しくも データイムセービング(サマータイム)の始まりの日でもあったのです。四月の第一日曜日から時計を一時間早める、と言う事は聞いてはいましたが、いざその日になってみても何も変わらない朝を迎え、礼拝の始まる11時(だと思っていて実は既に12時)に着席したものの様子がおかしいっと気付くまで暫くかかりました。10分もしないうちに礼拝は終わり 持ち寄りの昼食会になりました。なにかそれ目当てに出かけた様で気まずかったのですが、新来者の紹介を受け、始めて時間を間違えていた事に気付きました。これが功を奏してかすっかり打ち解け、温かく迎えて頂きました。
このノークロスファーストバブテスト教会との出会いは、渡米前子どもたちの通っていた幼稚園が教会付属の幼稚園で、ジョージアに住む牧師夫妻を紹介して下さいました。渡米後二ヶ月、やっと生活も落ち着き イースターでもあり、教会を訪ねてみよう と言う気になったのです。日本に縁のあるジョージアに住む牧師を訪ねて、と言えども遥か15万4千km、ジョージア州は北海道を二つ合わせた面積に相当する広さなのです。それが、牧師夫婦の住む家はご近所で、そしてその教会は主人の会社の側でもあり、家から車で15分と離れていないところだったのは、決して偶然では無かったのだと思います。
私がこのボートライト先生(教会の牧師先生)の礼拝を受けている間は、子どもたちは現地の子どもたちと教会学校で学んでいました。ボートライト先生は、この地域に住む日本人の強い要望を受けて、一度引退された身でしたが切望され再び日本語の礼拝を持って下さったそうです。
奥様であるべティー先生も日本語が堪能で、日本から離れた遠い地で困っていないかと、いつも見守って下さっていました。私はべティー先生を米国の母として慕っていました。この教会で外国人のための英会話クラスや日本語によるバイブルクラスに参加し四年の月日が流れ、主人の帰国が決まりました。私はその後も、子どもたちのたっての希望で主人が帰国後半年残る事になりました。四人の子どもたちの各々の学校の送り迎えやテニス、バレーボール、空手、マーチングバンド、と子どもたちは車がなければ一人で行動する事は出来ない場所です。それに加えて住んでいた家の売却 引っ越しなど私一人では到底出来ない事を『neighbor』ご近所の方はもちろん、隣人(となりびと)に支えられている自分に気付いたのです。
そしてその時、素直に洗礼を受けようと決心しました。今までは気がつかない振りをしていたのかもしれません。飛び込むタイミングを逸してしまっていたのかもしれません。自分に素直に向き合う事でモヤモヤも晴れ、帰国直前ボートライト先生、べティー先生に見守られてバブテスマを受けました。
一人住んでいる母の事もあり、横浜から三番町に引っ越して来て一年、捜し当てた教会は家の一番近くにあったこの番町教会でした。これもまた『neighbor』だったのです。
|
|