番町教会説教通信(全文)
2017年11拝説教 「創立131年によせて」     牧師横野朝彦


  ローマ12・1‐8

番町教会創立131年記念の礼拝をささげることができますことを感謝いたします。131年という歴史のなかに、わたしたちもおらせていただいている。131年の歴史につながらせていただいている。これは大きな恵みであると思います。また今、創立以来この場所でおこなってきた礼拝を別の場所に移す、別といっても同じ番町のなかに移すのでありますが、教会の歴史にとって大きな節目を迎えています。このことに関わっているということも、思えば大きな恵みです。

ここにおられるかたの多くはご存知であると思いますが、この教会の初代牧師は小崎弘道といいます。小崎は1880年に東京第一教会を設立します。それが現在の霊南坂教会です。そして霊南坂のメンバーで番町近辺に住んでいた人たちとともに聖書の学びをおこなっていました。不思議に思うのですが、教会となる前、1886年3月には会堂が完成し、番町講義所としての働きをしています。講義所設立の相談は1885年からされていますので、そのような前史を数えれば、創立132年と言っても嘘にはなりません。

1886年11月13日、土曜日、午後2時から教会設立式がおこなわれ、230―40名が出席をし、立錐の余地がなかったと記録されています。現在のわたしたちの礼拝堂よりもひと回りは狭かったですので、まさに立錐の余地どころではない、満員電車状態でありました。

小崎弘道はこのとき霊南坂を辞め、番町教会の牧師となっています。それから2年後同志社の新島襄が亡くなったため、小崎は番町を辞任し、同志社の社長として京都に赴任しています。そして後任牧師として赴任をしたのが、当時同志社で教えていた金森通倫でした。またそのころ、?.C.グリーン宣教師、この人は摂津第一公会、現在の神戸教会を設立した人でありますが、グリーンが東京に来て、番町教会に出席をし、多方面で活躍をした様子です。

小崎が多方面で活躍をしたというのは、具体的に小崎の自伝のなかに書かれています。「当時わたしは番町教会牧師の外『基督教新聞』、『六合雑誌』等を担当し、盛に伝道を為し居る際とて、之を辞して京都へ赴任するのは容易のことではなかった。」小崎は、キリスト教ジャーナリズムの先駆けとなった人です。またYMCA、キリスト教青年会の設立に深くかかわっています。

このようにみると、信仰というものを一人の人間の心のなかに閉じ込めるのではなく、信仰を社会のなかでどう生かしていくかということに深い関心を持ち、実践的に活動していたことがわかります。

また小崎は、英語のreligionに「宗教」という言葉を当てはめて翻訳しました。あるいは、young menという単語に「青年」という訳語を使ったのも、小崎が最初でありますから、それだけでも歴史に残る働きです。

以上のように、小崎の功績を最初に紹介しましたが、実のところこの人はなにもかもうまくいった成功者ではありません。わたしはこの人にとても興味を覚えるのですけれど、興味を覚える理由は、成功した人間としてではなく、弱さを抱えた人間としてなのです。

番町教会が設立された1886年は、明治19年です。徳川幕府が倒れ、明治維新となって19年、キリシタン禁制の高札が撤去されたのが明治6年ですから、それから13年がたっています。明治も半ばに近くなっていますから、確かに世の中は変化したでしょう。けれども人々の意識がどの程度変わっていたのかとなると疑問を感じます。おそらく、どんどん変化していく社会と、新しいものを受け入れることの難しさとが混在をして、さまざまな混乱があったのだと思います。

キリシタン禁制の高札が撤去されたとは言うものの、そのことは一般の人たちには知らされていませんでした。キリスト教を信じてよいというお触れが出たわけでもありません。各地に教会が建てられましたが、同時に迫害も各地でおこっています。

小崎はもともと熊本洋学校の出身です。熊本藩が1871年、明治4年に開いた学校でした。教師はジェーンズひとりで、全教科を担当しました。授業に通訳はもちろんおらず、アルファベットから始まって物理や歴史も教えられました。ジェーンズは熱心なキリスト者でした。最初はキリスト教のことも聖書のことも何も話さなかったのですが、開校して3年目に、自宅で聖書の勉強会を始めます。

その結果、35名の学生が1876年1月30日に花岡山というところに集まり、奉教趣意書というものに連名で署名をし、信仰告白を言い表したのでした。奉教趣意書、奉教とは、教えを奉ると書きます。これに皆が署名をし誓約をしました。このため熊本藩は大騒ぎとなり、学校は廃止されてしまいます。

そのとき小崎はどうしていたかといえば、花岡山に行っていません。彼は最初キリスト教に入ることを嫌がっていたのでした。しかしあるとき、ジェーンズが祈る姿に心ひかれます。そしてほかの学生たちからは遅れて、信仰を持つに至ったのでした。

熊本洋学校は廃校になってしまいました。そのため彼らは京都に生まれたばかりの同志社に転入学をします。そして同志社を卒業した彼らは、各地の教会や学校に赴任をしていきます。ところが最後まで赴任先が決まらなかったのが小崎でした。彼ひとり赴任先が決まらなかった理由ははっきりしませんが、小崎が訥弁であった、要するに口下手で、話し方がなめらかでなかったことが原因とも言われています。そのようなことから、小崎は勧められて東京に移住しました。そして東京でいろいろな人との出会いが生まれ、教会設立にいたったのでした。

小崎はほかの学生たちよりも遅れて信仰を持ち、卒業後の赴任先も決まらない人でした。ある人は小崎のことを「遅れてきた」人と言っています。また番町教会を辞めて京都に行きますが、そこでうまくいったかといえば実はそうではなく、結局そこを辞めて、霊南坂教会に戻ることになります。

小崎のあとをついで第二代牧師になった金森も熊本洋学校にいた人です。熊本洋学校が廃校になったときには、金森通倫は家族の者たちから座敷牢に入れられています。金森は番町教会を辞めたあと、一時期キリスト教信仰を捨てて、貯蓄運動というのを熱心におこなっています。その後熱烈な信仰を取り戻したということで、とても人間味あふれる人物であったようです。

花岡山で奉教趣意書に署名した人たち、そして小崎のように遅れてでありますがそこに加わった人たちを熊本バンドと言います。バンドとは結社とでもいう意味でしょうか。ついでに紹介すると、札幌農学校でクラークから学び、「イエスを信ずる者の契約」に署名した人たち、これを札幌バンドと言います。内村鑑三が有名です。もっとも内村は最初の入学生ではないので、「イエスを信じる者の契約」にはあとから署名をしています。

明治初期のキリスト者たちの働き、そして彼らの生き方をみると、わたしは今日お読みいただいた聖書の箇所に書かれていた、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにいえとして献げなさい」、また「心を新たにして自分を変えていただき」という御言葉を思います。今日の聖書箇所に新共同訳聖書は「キリストにおける新しい生活」という見出しをつけていますが、まさに彼らはキリストと出会うことによって、新しい生活に入った人たちでした。

これまでの儒教的な精神から、奉教趣意書署名に至ったこと自体が新しいどころではないほどの、大きな変化でした。彼らは自分を神にささげていきました。そしてこの場合、彼らにその力があったからというよりは、ここに神の大きな御手が働いたというべきです。言いましたように、彼らは人間味あふれる人たちでした。小崎は遅れてきた人でした。金森は座敷牢に入れられました。また一時はキリスト教を捨てるなど、波乱ともいえる人生でした。

しかしそのような人間的なものを持ちながら、彼らはキリストにある新しい生を求めていったのだと思います。彼らはけっして聖人君子なのではなく、キリストとの出会いによって新しい生き方を示された人たちでした。そしてそれは、今日の聖書の箇所の冒頭の言葉を用いるならば、「神の憐みによって」そのようにさせていただいた人生ということができます。

今日読んでいただいた聖書の箇所の冒頭は、礼拝の初めに読まれる招詞、招きの言葉に用いられるところです。現在わたしたちは、教会暦、教会の暦にしたがって1年をいくつかにわけて、招詞を変更するようにしていますけれど、わたしが洗礼を受けた教会では、招詞といえばこの箇所でした。何年も何年も、毎週礼拝のたびごとに12章1節の御言葉をわたしは聞いてきました。ですからわたしにとって、とても大切なそして心に刻み込まれた聖書の箇所だということが出来ます。

わたしたちがなすべき礼拝とは何か。そもそも礼拝とは何なのでしょうか。礼拝という字を漢和辞典で調べてみましたら、たったひとこと「神仏を拝むこと」と書かれていました。神さまの前にぬかずき、祈りをささげることを、拝むという言葉で言っても間違いではありません。でも、礼拝とはそういうことなのでしょうか。それだけではないのです。

パウロは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と言っています。パウロにとって、なすべき礼拝とは、ただ拝むことではなく、自分をささげることだと言います。これもまた凄い言葉です。いったいどうすれば聖なる生けるいけにえとして献げることができるのでしょうか。

その昔、いけにえとは、まさに牛や羊や鳩を犠牲のささげものとすることでした。しかしそれがいつしか形式的に捧げられ、極端に言えば、なにかの罪の贖いとして羊や鳩をささげてはいても、罪そのものへの反省は少しもないというようなことがおこりました。

そのことへの反省が生じます。そこで詩篇51篇の言葉が出てくるのです。「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」つまりここでは、形式的なささげものではなく、心からの悔い改め、心を神のほうにしっかりと向きかえることが述べられているのです。

この、心からの悔い改め、心を神の方に向けること、それを言い換えれば、今日の2節の言葉になります。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」この世に倣うのではなく、わたしたちの生き方を神に変えていただくこと、そして神の御心をおこなうことだというのです。

ヘブライ人への手紙13章の言葉を思い起こします。「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。」このように、わたしたちの生き方を、自分を喜ばすだけの生き方から、神の喜びとなるような生き方に変えていただく、それが本当の礼拝だと言われているのです。

わたしたちは日常どのようなことを判断の基準にしているでしょうか。それは神に喜ばれるではなく、むしろ自分を喜ばせることではないでしょうか。自分の満足、自分があがめられ、ほめたたえられることを求めてはいないでしょうか。そうではなく、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげる、パウロはこのような礼拝をわたしたちに勧めます。

ローマの信徒への手紙は、1章から11章までに教義的なことが書かれています。人はおこないによって救われるのではなく、信仰によって救われることを、神学論文的に展開したいくぶん難解な文書です。3週間前、宗教改革について話したとき、ルターがローマ1章「正しい者は信仰によって生きる」の言葉と出会うことによって大きく変えられたことを紹介しました。そしてローマの信徒への手紙は、異邦人の罪、ユダヤ人の罪、すべての人の罪を述べ、ここからどうすれば救われるかを述べ、6章では罪に死にキリストに生きるということが書かれています。キリストによる贖い、神の愛を述べています。

そしてこのような神学論文的な語り口は11章までです。今日の12章から内容はキリスト者の具体的生き方へと変わっていきます。12章1節冒頭に「こういうわけで」と書かれていますが、これは11章までの教えと、12章以下の具体的教えとのつなぎの言葉です。そして、新共同訳聖書の見出しを拾っていくならば、隣人愛とか、兄弟を裁いてはならないとか、自分ではなく隣人を喜ばせるといった、具体的なことが示されていくのです。

でも、ここで気を付けたいことがあります。パウロはここでなにも具体的行いを述べて、このようにしなさいと命令しているのではありません。この手紙の前半、いや大半を使って、おこないによらず信仰によると語ってきたのです。それが急におこないを勧めているということではありません。

パウロが言いたいことは、信仰によって新たにされたものの生き方は、おのずから、自分を喜ばせることではなく、他者の喜びとなると言っているのです。また、他者の喜びとなる生き方は、これをしなさい、あれをしなさいではなく、神さまに自分を変えていただくこと、そこから始まるということです。

3節以下は、自分を過大に評価してはならない、わたしたちはキリストに結ばれて一つの体を形作っており、各自は互いに部分なのだからと言われています。各自は互いに部分だという言い方は、第一コリント12章の「一つの体、多くの部分」と教えられている箇所を思い起こします。わたしたちは自分ひとりの力で生きているのではけっしてないのです。わたしが仮に手だとすれば、それは他の部分、頭や足や他の部分が働いているから、手もまた生かされているのです。わたしが仮に目だとすれば、それは他の部分、耳や口が働いているから、わたしも目としての働きが出来るのです。また第一コリント12章が、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と言っていることは、とても大事なことだとわたしは思っています。

番町教会は熊本洋学校でジェーンズから学び、キリストに出会った熊本バンドの人たちの働きから始まりました。彼らはまた同志社で新島襄から学び、キリストにある自由の精神を受け継いだ人たちです。この流れを会衆主義と言います。会衆主義とはなにかと考えるとき、わたしは手や足や、耳や口が、自発的に自由に働きながら、それが全体の益となる、そのようなありかたではないかと思います。

「会衆主義について」というパンフレットがあります。この中に次のように書かれていました。「会衆主義の・・基礎に信徒一人ひとりの自覚的信仰があることは忘れてはならないことです。・・すなわち、信徒一人ひとりが『何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるか』を求める務めに召されていることになります。こうして神の前に互いが『心を新たにして自分を変えていただ』く業が、まさに礼拝なのです。

このような礼拝をわたしたちは受け継いできました。日曜日の朝に礼拝を続けてきたというのはもちろんのこと、それだけではなく、自分をささげ、神に喜ばれ、隣人に喜ばれる生き方を求めてきた人たちの群れが、131年間続いてきたのです。そしてこの群れのなかに、わたしたちも生かされています。そして今このときもまた、わたしたちは、「心を新たにして自分を変えていただきなさい」と呼びかけを受けています。

(2017年11月12日 礼拝説教)