番町教会説教通信(全文)
2016年7拝説教 「嵐の中で」      牧師横野朝彦

使徒言行録27・33−44

船旅というのはとても魅力的なものです。わたし自身は若い頃に瀬戸内海で何度か船に乗ったという程度の経験しかありません。内海の穏やかな海面でした。それでも、気持ちはそれこそ広々とした世界に漕ぎ出すといったところでしょうか。小説の世界でも、古来航海物語は人々の想像力をかきたててきました。子どものころに読んだ漂流記などは、まるで自分が主人公のひとりになったような気持にさせられました。漂流することの大変さなどまるでわからないままに、わくわくして読んでいたのを思い出します。

けれども、船旅の実際は、魅力というだけではすまない、大変危険なものでした。しかも聖書の時代の船にエンジンがついているわけではなく、漕ぎ手がいるとしても基本的に風まかせですから、思わぬ方向に行くこともあり、また風がやんだときには幾日も港にとどまっているということもありました。

旧約聖書ヨナ書で、ヨナが乗った船は大荒れの海を漂い、船が砕けそうになっています。乗組員たちも恐怖に襲われ、彼らは船を軽くするために積み荷をすべて海に投げ捨てています。ヨナはヨッパというところからタルシシュ行きの船に乗り、嵐にあいました。タルシシュがどこなのか、今では特定されませんが、地中海の島という説、それから遠くスペインという説があります。

聖書のなかにタルシシュは幾度が出てきます。歴代誌下20章には、「タルシシュ行きの船が難破した」と書かれています。さらに、詩編48に「東風に砕かれるタルシシュの船」と書かれています。タルシシュが当時の交通の要所であったこと、その交通が極めて危険なものであったことが分かります。

この箇所を読みながらふと思ったこと、それは、シリアからの難民が船でヨーロッパに行こうとし、地中海を渡り、途中沈んだり、漂流したりしていることでした。十分な設備もない、小舟といってもよい舟で外国に渡ろうとする、そのことを思うと、使徒言行録に書かれているのが、遠い昔のことではなく、今につながっていると思わされます。

今日読んでいただいた聖書に書かれているのは、パウロがローマに向かって船に乗っていたときのことです。パウロはこれまでに3度にわたって伝道旅行をしています。1回目は船で行き、2回目と3回目は陸路をギリシア方面まで行き、帰りは船を使っています。

この船旅も順調なものではありませんでした。パウロは第二コリント11章で、自分がこれまで受けてきた艱難について述べており、そこで、「鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました」と書いています。

難船したことが三度、難船というのですから、船が壊れたのか座礁したのか、いずれにせよ航海が続けられなくなったことが三度もあったといいます。また一昼夜海上に漂う経験もしています。当時の航海は順調に行くほうが珍しかったのではないでしょうか。

今日読んでいただいた使徒言行録27章には、ローマ行きの船が難破したと書かれているのですけれど、この出来事は、第二コリント11章で「難船したこと三度」と言ったことよりも後で起こっています。ということは、パウロはなんと4回も船旅の事故にあったということです。

パウロはこれまでに3回の伝道旅行をしたと言いました。今日読んだ27章は4回目ということになるのですが、しかしこれはこれまでのような伝道旅行ではありません。なんのための4回目の旅行、ローマ行きの旅行だったのでしょうか。その理由は27章1節に書かれています。「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。」

パウロはこのとき囚人だったのです。囚人として引き渡され、つまりは護送されていたのです。彼が逮捕されたのは使徒言行録21章に記されています。律法と神殿を汚すことをしているというのが罪状でした。その後、最高法院で取り調べを受け、ローマ総督のもとへ送られ、アグリッパ王の前で弁明をし、いわばたらい回しのようにされたうえで、最終的にローマに送られることになったのでした。

彼はほかの囚人と一緒に船に乗せられます。27章前半には船がどのように進んだかが書かれています。カイサリアを出発した船は、翌日シドンに到着し、次にキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いたと、このように、船のルートが詳しく書かれています。新共同訳聖書は巻末に地図がついており、このときの船のルートも簡単に記されていますので、あとで見ていただければと思います。

今、いくつもの地名をあげました。わたしたちにとっては、これらの地名はあまり意味がありませんが、でもこれは当時の航海技術を知るうえでも、貴重な資料となっていると聞きました。当時は帆船です。風まかせです。ですから、これによって、当時の船旅がどのようなルートを取ったのかがわかるということです。

さて次に、クニドス港に着き、風に行く手をはばまれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれるところにつきます。羅針盤もなく、食料や水の補給にも苦労したことでしょうから、どうやら当時は、なるべく岸辺沿いに何度も港に立ち寄りながら航海したようです。

9節に、「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した」とあります。断食日を過ぎていたので、これは今日の暦で言えば9月10日だそうで、9月から翌年3月までは海が非常に荒れるのだそうです。パウロは3回に渡る伝道旅行によって何度も地中海を行き来していましたから、そういった知識を得ていたのかも知れません。そこで、船を出すのは危険だと、パウロは忠告をするのですけれど、百人隊長のユリウスはパウロの言うことをききません。船長や船主の方を信用したと、11節に書かれています。この港は冬を越すのに適切ではないからと、フェニクスという港まで行くことになります。同じクレタ島の港から港まで移動するだけだからと、プロである船長も油断をしたのでしょうか、船はパウロの反対にもかかわらず出発します。

ところが船が岸に沿って進んでいくと、間もなくエウラキオンという暴風が吹いてきます。エウラキオンとは、北東の風という意味だそうですが、要するにこの地方の季節風でありました。船は風に巻き込まれ、今や流されるままです。それどころか、18―20節によれば、「ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」のです。

荷物を捨てるだけではなく、船の道具まで捨てたのですから、どうにもなりません。助かる望みのまったく消え失せた状態。まさしくそのような状態にあって、パウロは人々に呼びかけるのです。22節です。「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」

なぜこのように言うことが出来たのか。昨夜夢のなかで、神さまの使いがパウロのもとにあらわれ、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださった」と言ったというのです。これは不思議なことです。このことについて、科学的説明はできません。でも、幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が吹き荒れ、助かる望みがなくなったまさにそのとき、木の葉のようにゆれる船のうえで、パウロは、自分はローマに行き、ローマ皇帝に対して福音を語らねばならないという確信と、希望を持ったのです。

そして25−26節にあるように、「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」、このように言って人々を励まします。

船が流され始めて14日目の夜、船員たちはどこか陸地に近づいているという予感を覚えます。パウロが予告したとおりです。夜明け頃、パウロは一同に食事をするように勧めます。パウロはパンを取り、神さまに感謝の祈りをささげてそれを裂き、パンを食べます。その後、最後の荷物である食料も捨てて、船をいっそう軽くし、このようにして浅瀬にぶつかり、難破をして、陸地にあがることになります。28章1節によれば、ここはマルタ島でした。地中海の東の端からイタリア南部の島まで、いっきに到着をしたのでした。

陸地に難破をし、船尾が壊れだしたところで、兵士たちは囚人が逃げないように、囚人たちを殺してしまおうと考えます。けれども百人隊長はパウロを助けておきたいと思い、囚人たちが殺されることはありませんでした。

百人隊長の名前はユリウス。クレタ島の港を出るときに、パウロが危険だからと止めたのに、ユリウスは船長や船主のほうを信用しました。でもいっぽうで彼は、27章3節によれば「ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた」とあります。囚人ではあるけれども、緩やかな監視で、一定の自由を与えたのです。

福音書には百人隊長が自分の息子を主イエスに癒してもらう話や、あるいは十字架を目撃した百人隊長が「この人は神の子だった」と告白した話、使徒言行録にはペトロが伝道をした百人隊長コルネリウスのことなどが出てきます。異邦人である彼らの間に、イエスとその教えに共感する人たち、陰ながら支えた人たちが少なからずいたことがわかります。

以上のように囚人として護送されているパウロは、嵐にあい、船が沈みそうになるなかで、人々を励まし、彼を護送する責任者である百人隊長ユリウスの心までとらえていきました。パウロは護送される身でした。ローマで待っている苦難、事実彼はローマで亡くなっています、その苦難を思うと自暴自棄になって、嵐で沈んだほうがましだと、思ってもおかしくないほどです。

しかし彼は、自分はローマ皇帝の前に出て語ることがあると、その使命を覚え、そしてその使命が果たされるまでは船が沈むこともなく、自分は目的地に行くことになるという信念を持っていました。つまりは受難を知りながらエルサレムに入られた主イエスの、まさにその足跡をパウロもたどったのでした。

パウロは嵐の中にあっても、使命を果たすことを第一とし、それが終わるまでに命が終わることはないと確信をしていました。それとともにパウロはきっと初代教会に伝承されていた出来事、つまり主イエスが嵐に悩む弟子たちを救われた話を思っていたに違いありません。

福音書には、ガリラヤの湖をゆく舟を嵐が襲い、舟は波にのまれそうになったこと、主イエスは眠っておられたこと、主が風と波を叱られると嵐がおさまったという不思議な話が書かれています。また舟に乗っていた主イエスの弟子たちに強い風が吹き付けたこと、沈みかけたこと、主がそこに来られたことが記されています。

今日の聖書箇所は、教団の聖書日課にしたがったものですが、一緒に読む箇所としてヨハネ6章16−21節です。ここには「強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。・・イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られた」と記されています。そしてもう一か所、聖書日課で共に読むように指定されているのは、イザヤ書43章1−13節です。ここには次のように書かれています。「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。」 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」

今日最初に讃美歌300番をご一緒に歌いました。受難節の讃美歌で、なぜこの季節にと思われたかもしれません。この曲を選んだのは1節の歌詞を覚えてのことです。「十字架のもとに、われは逃れ、重荷をおろして、しばし憩う。嵐吹くときの巌の陰、荒れ野の中なる、わが隠れ家。」ここで「嵐吹くときの巌の陰」と歌われていました。

2曲目の462には、「磯打つ波の逆巻くときも、主よ、水先のしるべしたまえ」と歌われています。そしてこのあと歌う54年版讃美歌520には、「うきなやみの荒海を、渡りゆくおりにも、心やすし、神によりて安し」と歌われています。どのような嵐のなかにあっても、主が共にいてくださるならば、わたしたちの心は安らかである、これが聖書をとおしてわたしたちに伝えられているメッセージです。

パウロは、囚人として護送されている立場でありましたが、船が嵐にあってついに助かる望みが無くなったときでさえ、この信頼を失いませんでした。嵐のただなかにありながら、「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」と励ましの言葉を与えます。

囚人であるはずの彼が、このような混乱のなかでただひとり落ち着きを持っており、そしていつしか周りの人たちを励まし、まるで囚人ではなく、彼が船長であるかのようにふるまっています。使徒言行録16章でも、パウロは投獄をされていましたが、地震がおこったあと、牢獄の監守はパウロの前にひれ伏し、「救われるためにはどうすべきでしょうか」とパウロに尋ねています。

以上のように、今日読んでいただいた聖書の箇所は、嵐にあいながら神さまへの信頼を失わなかったパウロのこと、そしてマルタ島に難破をし、乗組員も囚人たちもすべて助かったことが報告されている箇所です。そしてこの記事を読んでいてもうひとつ注目すべきことがあります。それは嵐にあった彼らが、とても食事すら取ることができないほどだったのに、漂流しながら、パウロの勧めによって食事を共にしたことです。

35−36節に書かれています。「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。」これは話の内容としては、一緒に食事をした、それだけのように思えるかもしれません。しかしここで用いられている言葉遣いは、明らかにひとつの特徴があります。それはすなわち、主の最後の晩餐につながるということです。

マルコ14章の最後の晩餐の記事には、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与え」と書かれています。ルカ24章、エマオの村で復活の主は「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」のでした。

聖書注解書を見ると、どの本もほぼ共通して、漂流する舟でされた食事のことを「聖餐式そのものではないが、主の晩餐を連想させ、またパウロがこの食事を主宰するものとして描かれている」と説明されています。

「この世の波風騒ぎ、いざないしげきときも」というのは、わたしたちの生きる現実です。嵐にあい、わたしたちが乗っている小舟はまさしく沈みそうになります。それはわたしたち一人ひとりの現実です。そしてまたその昔から教会が舟に例えられてきたこと、例えば世界キリスト教協議会のシンボルマークは舟の絵であることがあげられます。

ナチスドイツによる支配下にあったドイツの小さな教会のことを描いた本のタイトルは「嵐の中の教会」でした。このような政治的嵐、また嵐は外だけではなく、内にもあることでしょう。けれども、そのような嵐のなかにあって、共に主の食卓を囲む、そして主への信頼を失わない、そのことが何よりも大切なことです。

 (2016年 7月10日 礼拝説教)