番町教会説教通信(全文)
2015年12拝説教 「救い主がお生まれになった牧師横野朝彦

マタイ2・1−15

クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕を心からお慶び申し上げます。

クリスマスの物語は、ファンタジーのようにわたしたちに夢や楽しみを与えてくれます。東のほうから博士たちが星に導かれて、らくだにまたがってやってくる姿は、絵画にも描かれ、わたしたちに馴染みあるものです。新共同訳聖書で占星術の学者たちと書かれているこの人たちは、パスカル、バルタザール、メルキオールの3人であったとされています。そしてその出身地は、世界各地に広がっていたとも言われています。実際にはその人数さえ本当のところはわかりませんで、彼らの贈り物が黄金、乳香、没薬という3つの品であったことから、3人という伝説が生まれました。でも、この物語で大切なことは、人数とか名前ではありません。彼らが東のほうから来たこと、すなわち彼らが異邦人であったことに大きな意味があります。救い主誕生にあたって、真っ先にお祝いに駆けつけたのが、東方の人たちであったというのは、実のところ決して当たり前の話ではありません。

そもそも、旧約聖書の宗教においては、異邦人は救いから漏れるべき存在であったからです。にもかかわらず、救い主の誕生にあたって、一番初めに幼子に出会ったのが異邦人であったということは、それ自体が大きな驚きです。また彼らが占星術をする人たちだったことも驚きです。実際には当時の社会における天文学者的存在だったかもしれませんが、それにしても占星術など、旧約聖書の信仰とは相いれないものと思われるからです。

東方からの学者たちが最初にお祝いに駆け付けたというこの物語は、実に深いメッセージがあると思います。彼らはその専門の職業である星を見ることによって、救い主の誕生を知りました。でも、彼らは言ってみれば行く先を間違えて、エルサレムの王の宮殿に向かっています。そしてそこで、2章5−6節にあるように、行くべき場所がベツレヘムという村であると知ったのです。

「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」これは、旧約聖書ミカ書5章1節の言葉です。ここからわかることは、学者たちを本当に導いたのは星ではなく、聖書の言葉であったということです。そして聖書の言葉にしたがってベツレヘムに着くと、東で見た星が再び輝いたのでした。このような話の展開にわたしはとても興味を覚えます。

それにしても、どうしてこのような異邦人たち、これまで聖書のことを知らなかった人たちが、主イエス・キリスト誕生に真っ先に駆け付ける人となったのでしょうか。そのことを考えるにあたって、ヨハネによる福音書に書かれた言葉が参考になります。すなわちヨハネ1章10−12節に、キリストのことを「言」といいあらわして次のように書かれています。「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」

主イエス・キリストは神の国の福音を宣べ伝えられましたが、多くの人たちはこれを受け入れませんでした。ことに、選ばれた神の民とされていた人たちは主を受け入れることなく、かえって主を十字架にかけてしまったのです。そしてかえって、これまで聖書のことを知らなかった人たち、これまで罪人とされていた人たちに福音は広がっていきました。東の国の異邦人たちがお祝いにやってきたということは、主イエスが選民とされた人たちに受け入れられず、これまで捨てられたと思われていた人たちにこそ受け入れられたということが、主イエス誕生の物語においてすでにあらわされているのです。

これまで選民と考えられていた人たちは主を受け入れませんでした。そのことは今日読んだ個所にふたつの形で証言されています。第一に、学者たちがやってきたときの反応です。第二は、13節以降にあるように、ヘロデ王による幼児虐殺がおこり、幼子はエジプトに逃れたという記述です。

まず一つ目についていえば、学者たちがエルサレムに着いて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言ったとき、ヘロデ王は不安を抱きました。自分の王の位をおびやかすものが出てきたと思ったのでしょう。このヘロデ王の反応はまだわかるとして、次に「エルサレムの人々も、皆、同様であった」と書かれていることに興味を覚えます。

彼らは旧約聖書の教え、預言者たちの教えにしたがって、救い主の到来を待ち望んでいたはずです。またヘロデ王、このヘロデは主イエスが十字架についたときのヘロデではなく、その父親にあたるヘロデ大王と呼ばれていた人であり、その圧政ぶりに人々は苦しめられていました。それにもかかわらず、彼らは不安をいだきました。ひどい政治であっても、そこで利益や権力を得ていた人たちもいたからなのでしょう。このように、救い主はこの地の人たちから排斥をされることになります。

そして、幼子イエスはエジプトに逃れるのです。主の天使が夢のなかでヨセフにあらわれて警告をしたからです。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と告げたのでした。幼子がエジプトに逃れたことは、のちにエジプトを出て帰ってくる、すなわちその昔の出エジプトが救いの出来事であったように、キリストが新たな出エジプトをもたらすという福音につながります。

このように、幼子は選民とされていた人たちからは排斥され、かえってこれまで罪人とされていた人たち、また異邦人によって受け入れられることになります。ルカによる福音書によれば、幼子イエスは家畜小屋において生まれ、飼い葉桶に寝かされたということです。マタイには飼い葉桶という言葉は出てきませんで、それがどのような場所であったかはわからないのですけれど、ルカが伝えているように、宿屋には彼らの居場所がなく、家畜小屋に追いやられたということと同じメッセージを、マタイからも読み取ることができます。

今日の話から少し離れますが、主イエスが生まれた家畜小屋とはどんなところだったのでしょうか。わたしはなんとなく、母屋があって、少し離れたところに家畜用の小屋があると思っていました。ところが最近知ったことは、ベツレヘムという土地は、傾斜の急な岩山の町なのだそうで、家はその一帯から切り出す石を積んで造っているそうで、家屋の下、階下に、斜面にくい込ませたり、崖の洞窟を利用した半地下があって、そこが家畜の寝る場所だそうです。主イエスはこのようなところで生まれられたと、聖書は伝えています。

藁などが置かれ、案外とそこは暖かだったでしょうけれど、しかしあまり清潔なところとは思えません。また、たき火をするわけにもいかず、明かりはどのようなものだったでしょうか。せいぜい粗末なランプひとつくらいしかなかったと思われます。主はそのようなところで生まれられた、いや、生まれてくださったのです。

このことをキリスト教は福音として伝えてきました。人々から排斥され、家畜小屋に生まれた幼子が、なぜ救い主なのでしょうか。なぜそれが福音なのでしょうか。救い主ならば、王の宮殿で生まれてもよさそうなものです。

前に、才藤(さいとう)千津子さんという大学の先生で、牧師でもあるかたのクリスマスメッセージを読みました。アメリカのオークランドで、アフリカン・アメリカンの教会で、ものの見方や考え方を大きく変えられたという体験が語られていました。降誕劇のミュージカルが上演されました。「わたしたちを泊めてください」というヨセフの言葉に、人々が「NO!」「NO!」と叫んで拒絶するのです。その場面が延々と、しかもパワフルに続いたそうです。

才藤先生はこの場面を見たときに気付かされました。このミュージカルを上演しているのは、そして観客の多くは、長い間、虐待と人種差別を受けてきた人たち、この世の人々から常に「NO!」と言われ続けてきた人たちだと。次のように語っておられます。「『わたしたちを人間として認めてください』という叫びに対して、『NO!NO!』と拒絶され続けてきた歴史を持っているのです。ですから、自分たち自身が、この世の中には『居場所がない』『あたたかく受け入れてくれる家がない』者として生きてきた抑圧と差別の歴史、底知れない苦しみと悲しみの歴史・・・その自らの『痛み』の歴史をこの場面に重ねていたのだと思います。」

そしてこのように、主イエスの姿を自分たちの歴史と重ね合わせることによって、彼らはまさに福音を自分たちのものとしているのです。

ディートリッヒ・ボンヘッファーもまた、1943年12月、獄中から次のような手紙を書いています。両親に宛てたクリスマスメッセージです。「キリスト教的な観点から見れば、獄房の中でのクリスマスだからと言って何ら特別な問題ではありません。おそらくここの、この刑務所の中では、多くの人々によって、この祝祭だけの看板をかかげているような所よりもずっと意味深い、ずっと真正なクリスマスが祝われることでしょう。・・人々が普通だったら目をそむけるような所へ神はご自身を向け給うということ、キリストはほかの宿屋ではいかなる場所も見出さなかったがゆえに馬小屋で生まれ給うたということ――これらのことは囚人には他の誰よりも良くわかります。それは彼にとって、本当に喜ばしいおとずれなのです。」

もうひとつ例をあげます。聖書学者の太田道子さんがパレスチナの難民キャンプで体験されたことです。その話を紹介する前に、皆さんは5950万人という数字が何をあらわすかわかるでしょうか。2014年の数字です。2015年はこれよりももっと大きくなり、6000万をはるかに超えていると思われます。

それは世界中の難民の人数です。地球上の122人に1人が難民だと国連難民高等弁務官事務所が報告しています。10年前は3000万台の後半だったのに、ほぼ倍増しています。2014年には、一日あたりにすると、毎日4万2500人が難民になっています。難民、迫害や抑圧によって家を離れざるを得なかった人たち、外国に逃れた人たちも多いですが、同じ国内で居住地を離れた人たちが多くいます。

現在もっとも多くの難民が出ているのはシリアです。シリアからドイツやヨーロッパに向かった人たちはその後どうなったでしょうか。最近はまったく報道さえされていません。それは難民がいなくなったのでも、問題が解決したからでもありません。そうではなく、世間の関心がなくなったからです。これはわたし自身の関心の持ちようも含めて、とても怖いことです。

太田道子さんはその著書「ことばは光」の第二巻で、ヨルダンの難民キャンプを訪れた体験を述べておられました。風景全体が灰色で、カーキ色のテントが果てしなく並んでいる。それが太田さんには墓石に見えたそうです。「どうしたら生きる希望を支えられるだろうか。」そう思っていると、太田さんを案内したフセインさんというかたが、「或るイラン人夫婦に、おととい赤ん坊が生まれたんだ。見に行くとするか」と言いました。赤ん坊の両親、彼らは、臨月だというのに歩いて国境を越え、迫害から逃れてきたのです。

訪れたテント、床には軍用毛布が敷いてあるだけで何もありません。そして奥の隅に小さなハンモックがつるされ、そこに、灰色のぼろ切れのような布に包まれて赤ちゃんが寝ていたのでした。

太田さんは書いておられます。「今は三月だが、このテントの中の今がクリスマスなのだ。わたしたちは美しいクリスマスの絵に馴らされている。ベツレヘムの飼い葉桶、ほほえんで幼子を見守るマリア、天使、羊飼い、東方からの三人の博士・・・。だが、ナザレの人イエスが生まれたときの光景は、むしろここでわたしたちが見ているようなものだったにちがいない。風の唸る荒れ野の仮設テント、途方に暮れる若い夫、疲れ果て、泣いてしまう妻、逃れ流れる旅の中で生まれた赤ちゃん、ぼろに包まれて眠るその子を見に来た土地の善意の人々。『東方』からの客も来ている、わたしたちは星占いの博士ではないが。みんなが心を痛めて見守っている。」

今お読みした中に、東方からの客も来ているとありました。一瞬なんのことかと思ったのですが、これは日本という東の国から来た太田さんと同行の人たちのことを言っておられることがわかりました。そして帰り際に、母親は断ったのですが、いくらかのお金を置いてきたのでした。金額はともかく、それは黄金、乳香、没薬にあたるものだったことでしょう。

東の国の学者たちは、1章11節によれば、「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」ということです。実際には何人の人たちかわからず、3つの贈り物ということから3人の博士という言い伝えが生まれたのですけれど、ここに書かれている「贈り物」という単語は、聖書のほかの個所では「賜物」と訳されています。パウロも言っているように、わたしたちは一人ひとり賜物をさずかっています。それは黄金のようなものではなく、銀、いや銅でしかないかもしれません。あるいは、共に心痛める思い、それだけかもしれません。でもそれも立派な賜物、贈り物だと考えます。

わたしは太田さんの体験談を読んだときに、本当のクリスマス、イエスさまがお生まれになったときは、このようだったかもしれないと思いました。東の国の人たちも、お祝いに駆け付けたというよりも、貧しい家畜小屋に寝かされた幼子を囲みながら、共に心を痛めながら見守っている。それが本当のクリスマスではないかと思ったのです。

太田さんが「ことばは光」第二巻で、ベツレヘムでのある出来事を書いておられます。簡単に紹介します。ベツレヘムはパレスチナ人の居住する西岸地区にあります。あるときイスラエルの軍隊によって禁足令が出され、人々は買い物にも学校にも、畑に水をまくことも、何もできないで家のなかにいます。ベツレヘムにある修道院では、シスターたちが教会に行くことができず、また神父に来てもらってミサをあげることもできずイライラし、不満がたまっています。そしてクリスマス・イブの24日、ひとりの修道女がこわごわ修道院の扉を開け、ごみを扉の外に置こうとします。するとそこに、ぼろ布が置かれていました。そしてそこにはぼろ布に包まれた赤ちゃんがいたのです。

禁足令にもかかわらず、誰かがそこまでやってきて赤ちゃんを捨てていったのでしょう。シスターはその赤ん坊を抱き上げます。そして修道院の奥に駆け込み大声で仲間のシスターたちを呼ぶのです。「姉妹たち、来て御覧なさい。わたしたちの家に、イエスさまが生まれてくださいましたよ!」

救い主イエスは、わたしたちのために生まれてくださいました。ヘロデ大王をはじめ、エルサレムの人々はイエスの誕生を不安に思い、救い主を受け入れようとはしませんでした。そして遂には主を十字架にかけたのです。しかし、これまで罪人とされてきた人たち、また異邦の人たちこそが救い主を受け入れました。悩み、苦しみ、悲しみ、貧困や孤独、そのようなこの世の低さを感じないではおられないところにこそ、主は来てくださいました。そしてその低さにあえぐ者たちにとっては、それはまさしく福音なのです。たとえこの世の価値を持たなくとも、それは、貧しい者は幸いである、悲しんでいる者は幸いである、との福音なのです。「来て御覧なさい。わたしたちの家に、イエスさまが生まれてくださいましたよ!」このように言うことができるのなら、それはなんと幸いなことでしょうか。

 (2015年12月20日 礼拝説教)