番町教会説教通信(全文)
2015年11拝説教 「わたしはあなたを祝福し」 牧師 横野朝彦

創世記 12・1―9

番町教会は1886年11月13日に教会設立式が持たれました。番町教会は今年で創立129年です。来年130年を迎えます。教会によっては130年という節目に、大きな行事や、教会史の編纂などをされますけれど、番町教会では現在のところそういった計画はありません。教会建築ということがなによりも大きな130周年記念事業になるのだろうと思います。

さて、129年前、教会設立式の当日は土曜日、天候は晴れ、集まった人たちは230―240名。立錐の余地がない状態でした。司会は神戸教会の松山高吉牧師、聖書朗読は北甘楽教会の窪田栄牧師、祈祷を前橋教会の不破唯次郎牧師、説教を湯島講義所、現弓町本郷教会の海老名弾正牧師、祝辞をドイツ普及福音派のスピンネル宣教師、教会への勧めを原市教会の新原俊秀牧師、祝文朗読を教会員となった森為国、そして初代牧師である小崎弘道が大人7名、子ども6名の洗礼式をおこなっています。このほか東京第一教会、現霊南坂教会から転入会したもの11名、外国などで受洗したもの12名と、設立のこの日にこれだけの豊かな式を持つことができたというのは驚くほかありません。

そしてこれらの名前、また神戸教会、北甘楽教会、前橋教会など、遠くの教会から人々が集まっていることを思うと、この教会が実に多くの人たち、多くの教会の祈りの中に生まれたと思わされます。なお、北甘楽教会というのが現在はありませんが、現在の甘楽教会につながるものと思われます。神さまはまことに豊かな祝福を、この教会の出発のときに与えてくださったのです。

番町教会の設立時の会員の名前を正確に把握することができないのですが、11月第一主日の永眠者記念礼拝で礼拝堂前に並べた写真のなかにも、設立当時の人たちが何人かいます。その人たちは今も歴史に名を残す人たちがたくさんおられます。その名前とそのそうそうたる肩書きに圧倒されるほどです。そのなかでひとりだけ名前を挙げるならば、三好退蔵という人がいました。初代の検事総長、つまりは検察庁の長官、そしてその後大審院の院長、つまりは最高裁判所の長官となっています。

わたしは、こんな偉い人がいたのだと、それこそその肩書きだけしかしらなかったのですが、あるとき知ったことは、足尾銅山鉱毒事件において、三好退蔵は甚大な被害を受けた農民の側に立ったということでした。さらにこの人は死刑廃止論者であったとも知りました。そのことを訴えること自体が周りからの強い非難を受けることになったのでありますが、当時の法曹界の最高の位置にありながら、こういった姿勢があったということに、大きな関心を持たされました。なおこの人は、YMCAの設立にも深くかかわっています。

長い歴史のなかで、著名な人が多くおられました。今では名前さえわからない人たちが、たくさんいて、教会を支えてこられたのだと思います。そしてまたたくさんのことがありました。今ではどこにも記録が残っていなくても、大切なことがたくさんあったのだと思います。

わたしは今年の4月から、本郷2丁目にある弓町本郷教会にかかわりを持たせていただいています。今年3月に牧師が辞任され、次の牧師が決まらないために代務者としての責任を負っています。ただ代務者と言っても、法律上の責任者ということで、日常のことにはほとんど関わっていません。それでも弓町本郷の教会員のかたがたからは、過分なまでに感謝をされて恐縮をしているほどです。

番町教会は1945年、昭和20年、東京大空襲によって会堂が焼け、弓町本郷教会の多大な協力のもと、合同礼拝をおこなうこととなります。わたしは代務者になったときに、まずそのことを話して、番町教会は弓町本郷教会に大きな助けを得てきたと言いました。

ところが弓町本郷教会の役員さんからは思いもかけない言葉が返ってきました。それは、「番町教会にはお世話になってきた」というのです。なんの世話をしたのか、まったく見当がつかず、どういうことかと思ったのでありますが、そのかたの言うには、弓町本郷教会は、その昔、まだ本郷教会という名前であった頃ですが、額賀鹿之助牧師を番町教会からいわば送ってもらったというのです。わたしは本当に驚きました。驚いたというより戸惑いました。

額賀牧師が番町教会にいたときに関東大震災がおこりました。大変な労苦をされています。そしてわたしはそのことや、またその後に額賀牧師が番町教会を辞めて本郷教会の牧師となったことも知っていましたが、こんなところで、「お世話になった」と言われるとは夢にも思いませんでした。

今、ここにおられるかたがたのなかで、額賀牧師の名前をご存知のかたはどの程度おられるでしょうか。おそらく一桁。二桁に届くかどうかではないでしょうか。それが他の教会のかたから、80年も前のことで礼を言われるとは、驚きでしかありませんでした。

でも、わたしたちが意識していなくても、わたしたちが知らなくても、そういうことがどこかで覚えられている、そういうことがどこかで大事にされている。それはまさしく歴史の重みということでしょう。そしてその歴史のひとこまにわたしたちも加えていただいているのです。

わたしたちにとって記憶の範囲である20年とか30年とか、50年くらいならまだしも、130年というとあまり現実味が無くなってしまいます。けれども、わたしたちがよく知らなくとも、わたしたちが忘れていたとしても、実際には、他教会のかたから感謝されるほどに、実は今もその歴史は息づいており、その歴史の息吹のなかにわたしたちも生かされているのだと思います。

番町教会の歴史を振り返ると、決してそれが順調に来たとは言うことができず、関東大震災での会堂崩壊、東京大空襲での会堂罹災など、目に見える形での大きな被害を受けています。そしてそのようなことよりも、教会の内部において、人間的な対立、意見の相違などによって、混乱をした時期が何度かあります。一時期は、隆盛を誇り、「我が国第一の教会」とまで呼ばれるようになります。けれども、そのような人間的な誇りというのは打ち砕かれるべきものです。わたしはその歴史を思うときに、もちろんそこには多くの人たちの祈りがあり、労苦があったのでありますが、それら人の力を思うよりは、やはり神さまがこの教会を建て、今日まで導いてくださった、そのことを思うべきだと考えさせられます。

今日は旧約聖書創世記12章から、「アブラムの召命と移住」という場面を読んでいただきました。聖書日課に従って選んだもので、説教題は「わたしはあなたを祝福し」といたしました。アブラム、この人は後にアブラハムという名前になり、「多くの国民の父」、また「信仰の父」と呼ばれるようになっています。この人のことについて書かれた最初の記事が、今日読んでいただいたところです。

11章の27節以下に「テラの系図」とあり、テラという人物から「アブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書かれていて、そして今日の12章に続いています。アブラムがどういう人であったのか何の説明もないままに、神さまがアブラムを祝福する話が出てくるのです。

それこそ人間的な思いでものごとを考えるならば、アブラムはこのような経歴があって、一生懸命努力をする人で、その努力を神さまは認められ、祝福を与えられたとでも書くべきなのでしょうが、聖書はそのような書き方をしてはいません。これは、聖書のほかの登場人物、旧約聖書の預言者たちもそうですし、また新約聖書で言うならば、主イエスの弟子たちがイエスによって招かれたことも、あるいはイエスの母となるマリアへの受胎告知もそうでありますが、人間的な経歴や誇りとは無関係に、ただ神さまの祝福が先立って与えられていきます。アブラムへの祝福もそのようなものでした。

12章1−2節をお読みします。「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。 』」 このように大きな祝福を与えられて、アブラムの生涯は始まります。このあと創世記25章でアブラムの死と埋葬と書かれたところまで、アブラム、後のアブラハムのことが書かれています。その生涯の出発において、神さまの祝福があったのです。

3節には、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る」と書かれています。このなかで、「呪う」といった言葉にわたしたちは戸惑うのでありますが、この言葉に躓かないようにしましょう。アブラムにこれから起こってくる困難の大きさ、それにもかかわらず神さまはアブラムを守られる、その程度の意味に受け取ってほしいと思います。

大切なことはアブラムが神さまの祝福を受けて出発をしたということです。アブラムはこのように祝福を受け、生まれ故郷である父の家を離れ、神さまから示された土地に向かいます。それは現在のパレスチナ、カナン地方でありました。

4節以下を読みます。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。 主はアブラムに現れて、言われた。『あなたの子孫にこの土地を与える。』アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。」

今読んだところには、実に簡単な記述でカナンへの出発と到着を書いています。実に簡単です。実際には大きな労苦があっただろうに、そのことは何もふれられていません。そのことはかえってわたしたちに大切なことを教えてくれています。それは何かと言えば、アブラムが神さまの祝福を受けて出発した、そして、アブラムはその祝福を信じ、神さまの指示に従ったということです。

新約聖書ヘブライ人への手紙11章によく知られた御言葉があります。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことなる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」アブラムは、まさに行き先がどのようなところなのか、どのようにこれからなるのか、何も知らずに出発をしました。それはただ、神さまの祝福への信頼だけでした。

1997年、ずいぶん前のことになりますが、教会で修養会を開催し、そのときの講師に青木優先生に来ていただきました。青木先生は医学部で学び、さあこれから医師として活躍をしようとした矢先に失明をされました。その後、キリストと出会い、神学校で学び、牧師となられました。先生はご自分の歩みを本に書かれまして、その本のタイトルを「行き先を知らずして」とされました。失明をした当初、外を歩くことがどんなにか恐ろしく、家に引きこもっておられましたが、あるとき、信頼をして歩くということを教えられたと書かれていました。

アブラムに与えられた神さまの祝福は、創世記15章にも出てきます。アブラムに対し神さまは、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と言われました。この時アブラムにはまだ子どもがいません。なのに、このように言われたのでした。そのときのことを15章6節はこう書いています。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」

「彼の義と認められた。」いかにもキリスト教用語的な言い方で、普段使わない日本語表現でありますが、義と認められるとは、神さまの愛と赦しをいただくといった意味です。ですから、今日の12章に書かれていた神さまの祝福が再び確認されたということになります。創世記に書かれているアブラハム物語、アブラムの物語は、このように一貫して神さまの祝福のもとを彼が歩んだという物語ですアブラムの働きがあって、それを神さまがほめたというのではなく、神さまの祝福がなによりも先立っているのです。

アブラム、アブラハムの生涯を見ると、「信仰の父」と呼ばれていながら、その一つひとつの行動は、それほど立派とは言えません。それなのに「信仰の父」と呼ばれた。その理由はただひとつ、彼が神さまの祝福を受け、それを信頼して歩んだ、ただそれだけです。そしてただそれだけが、誰にとっても、すなわちこの物語を読むわたしたちにとっても大切であるに違いないのです。

パウロはローマ4章で言っています。「恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」「それが彼の義と認められたわけです。 しかし、『それが彼の義と認められた』という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。」

パウロは言います。「アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。」これはとても大切なことです。アブラハムに与えられた祝福は、わたしたちにも与えられているのです。その場合、わたしたちの功績、人間的な意味での評価ではなく、それらに先立って、神さまの祝福があります。その祝福を信じて歩む、それが信仰生活の基本です。

信仰生活というと、いかにも信仰者らしいと言いましょうか、信心深い敬虔さや、目に見える真面目さを思うかもしれません。よく使われる言葉で、「敬虔なクリスチャン」という言い方がありますが、信仰生活というとそういう態度を想像されるかもしれない。でも、そうではありません。大切なことは、神さまの祝福、さらに言い換えれば、神の愛がすべてに先立って与えられている。そのことを信じて歩むことが信仰生活です。

そしてわたしたちはそのことを信じて、言うならば「行く先を知らずして」一歩を踏み出すのです。経堂緑ヶ丘教会におられた松本敏之先生が、創世記の説教集を出しておられます。松本先生は現在鹿児島加治屋町教会の牧師です。松本先生は書いておられます。「信仰とは冒険です。わたしたちは神さまから、『今の自分の人生の枠組みから出て、新たな地平へ出発せよ』という促しを受け、それに応えて、『行く先も知らずに』出ていくのです。・・わたしたちは行く先を知らずとも、神さまは知っておられます。神さまはその行く先を知り、わたしたちのすべてを知っておられる。そしてわたしたちは、この神さまを知っているのです。わたしは、それで十分ではないかと思うのです。」

わたしたち番町教会は、今会堂建築に向けて準備をしています。またオルガンについて協議をしています。これからまだまだたくさんのことをしなければならず、困難も大きいことでしょう。ここで頑張って、力強く働くことが必要です。けれども、わたしたちが頑張れば会堂が建つのでしょうか。そうではありません。大切なことは、神さまの祝福が与えられていること、そのことへの信頼、それだけではないでしょうか。129年前、神さまの豊かな祝福を受けて出発した教会は、人間的な目で見れば、浮き沈みもあり、また過ちもあったことです。しかし、ここに変わることなく存在しているものがある。それは「わたしはあなたを祝福し」という神さまの御声です。

(2015年11月 8日礼拝説教)