番町教会説教通信(全文)
2009年8 「平和に過ごしなさい」           牧師 横野朝彦

マタイ9・49−50

長野県上田市の郊外、郊外というよりは、田んぼのなかの道を行き、途中から山のなかの坂を登る、その上に、真上から見ると十字架の形をした建物があります。真上から見ることはできませんので、インターネットで地図を検索し、航空写真を選んでみました。すると、まさしく大きなコンクリートの十字架が映し出されました。訪れる客は、坂道を上がって行き、少し下から、あるいは正面から見るだけですので、十字架とは気付かないかもしれません。でも、建物のなかに入ってみると、部屋の形が十字架になっているのが分ります。ヨーロッパの修道院のなかには、十字架の形をしたものがありますから、この建物も、修道院を意識して設計されたのでしょうか。

ここは美術館です。壁にはさまざまな絵がかけられています。ごく一部、彫刻もありました。有名な画家の描いたものではありません。有名な画家の作品はひとつもありません。しかも山の上の不便なところにある美術館です。それでも、ここには多くの人たちが訪れています。ここは、戦没画学生慰霊美術館「無言館」といいます。

戦争中に東京美術学校や帝国美術学校、京都絵画専門学校など、現在の東京芸術大学、多摩美術大学、京都市立芸術大学などで、美術を学んでいた学生たちの作品が展示されています。そして彼らは、在学中に、あるいは卒業して間もない頃に、兵隊として応召され、戦死した人たちです。戦地で発病し、復員してから病気で亡くなった人もいます。

無言館という名前にしたがって、わたしが訪ねたときも、皆さん黙って見学をしておられました。途中で、中学生の団体がやってきましたが、引率の先生から注意されていたのでしょうか、彼らも静かに見学していました。戦没画学生たちの作品を前に、わたしたちは黙るしかない、雄弁であることは許されない、きっとそのような意味で、無言館という名前が付けられたのだと思いました。あとで、館長である窪島誠一郎さんが書かれた本を読みましたら、絵を見る人たちが「絵の前で黙って立ちすくみ、何も言わずに帰っていく」という意味とともに、もうひとつ名前の由来が書かれていました。それは、展示されている絵が、何も語らずに黙っているけれども、その絵からはたくさんの言葉が伝わってくる。何も語らないけれど、たくさんの言葉があふれている、そのような意味が名前に込められているのだそうです。

わたし自身は、絵を見るのは好きですが、絵心がないというか、その絵が何を語っているかなどまるでわかりませんけれど、それでも無言館で絵を見ていると、なんとも言葉にあらわせない気持にさせられました。また絵の作者である画学生たちの経歴や、手紙や手帳、絵の具やパレットなどの遺品を見ていると、まさに何も語らないけれど、たくさんの言葉にあふれている、その一部に触れることができたように思いました。

館長の窪島さんや、あるいは他の見学者のかたがたは、もっとたくさんの言葉を聞き取っておられるのだと思いますが、わたしが聞き取ることができたこと、それは、自分自身と、そして家族、あるいは故郷への熱い思い、言い換えれば、生きとし生けるものを愛しむ心でしょうか。描かれた絵には、自画像が少なくありませんでした。また結婚したばかりの妻の絵、あるいは家族団欒の絵もありました。家族団欒の絵は実際にはそのような体験をしたことがない人の絵でした。また、自分の故郷の山や町の風景がありました。彼らは、それらの絵を、兵隊として出征する前の日まで描いていました。それは自分自身を、家族を、故郷を愛するが故であっただろうと思います。そのことを強く感じました。

明日自分は出征しなければならない、二度と帰ってくることができないかもしれない。そういう状況のなかで、妻の絵、おばあさんの絵、家族の絵、故郷の絵、あるいは自分自身の顔を描き、絵筆に託して熱い思いを、深い愛をあらわしたのでした。

戦争に関する展示がされているところはいくつかありますが、なかでも有名なのは、靖国神社のなかにある遊就館です。戦死者たちの遺品が展示され、戦争に至った歴史もパネル展示されています。でも、何かが違います。そこではお国のために戦ったという大義名分が展示されているように思えます。今回無言館で思ったのは、そのようなことではなく、愛する者たちへの思いがそのまま伝わってくるということでした。無言館では、政治的な主張は何もされていません。でも、何年か前、建物の前にある石碑に赤いペンキがかけられました。黙っていながら、平和を語っている、そのことへのいやがらせでした。

今日8月2日は、8月最初の日曜日です。日本基督教団はこの日を「平和聖日」と定めています。言うまでもなく、8月はわたしたちの国にとって、この国に住む者たちにとって、平和への思いを強くさせられる大切な月です。6日の広島原爆記念日、9日の長崎原爆記念日、そして15日の敗戦記念日と、歴史を振り返り、国の内外の戦争犠牲者たちを思います。

先ごろ、小山晃佑という神学者が亡くなられました。ニューヨークにあるユニオン神学校の校長をされ、またそれよりずっと前にはタイ・チェンマイのパヤップ大学の神学部で教えておられました。日本ではあまり知られていませんが、むしろ世界的に著名な神学者でした。最近、小山先生が書かれた「神学と暴力」という本が出版されました。もともと英語で書かれたものが日本語に翻訳されたものです。

小山先生は、戦争や暴力が支配するこの世界の実態を述べ、キリスト教をはじめとする宗教が、暴力を支えてきた現実を厳しく告発しています。小山先生は、「敵を愛せ」と「敵を憎め」とどちらを人類は選択するでしょうか、と述べ、そして、日本の国が戦争に敗北することによって、日本はこのとき知らずして「敵を愛せ」という聖書の教えに従ったのだと述べておられます。すなわち、憲法において戦争放棄を誓うということによって、暴力を放棄し、「敵を愛せ」という和解の方向にむかって歩みだしたのだと述べておられます。それは、自覚的に選んだ道ではなかったかも知れません。憲法は押し付けられたものだと主張する人がいます。けれども、知らずして神の御心にしたがった、それが敗戦という大きな悲劇をとおして日本が得てきた貴重な体験でした。大きな悲劇をとおして、わたしたちは、愛することの大切さ、平和の尊さを身をもって知らされたのでした。

主イエス・キリストは山上の説教において、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と語られました。しかし、主イエスはそれをただ教えただけではありません。平和は大切ですとは誰でも言うことができるし、教えることができます。エフェソの信徒への手紙には、「キリストはわたしたちの平和であります」と書かれています。キリストご自身が平和だというのです。そのことの意味は、主キリストが十字架によって「敵意という隔ての壁を取り壊し」、わたしたちに和解をもたらしてくださったからだと述べられています。

コロサイの信徒への手紙にも次のように書かれています。「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」ここで教えられているところも、先程のエフェソの信徒への手紙の言葉、十字架によって敵意という隔ての壁を取り壊しと、同じ意味です。

イラク戦争、あるいは9・11の事件以降、憎しみの連鎖という言葉を何度も耳にしてきました。憎しみが憎しみを呼び、新たな憎しみが新たな憎しみを生みだし、それが拡大していきました。しかし、主イエスは、「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と教えられ、自らそれを十字架によって表わされたのです。十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈られたのは、まさにそのしるしでした。主イエスは、このようにご自身の十字架によって、憎しみの連鎖を断ち切られ、敵意という隔ての壁を取り壊されたのです。

新約聖書に平和という言葉がたくさん出てきますけれど、それらのほとんどは、主イエス・キリストと結びつけて用いられています。パウロをはじめとする手紙では、手紙の最初の部分で、あるいは終わりの部分で、「主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」といった挨拶の言葉が使われています。イエス・キリストからの恵みと平和。平和はキリストから来るものであると、ここに言い表されています。

平和という言葉は、ほかにもたくさん使われていますが、パウロの書いた手紙のなかに、「すべての人と平和に暮らしなさい」、「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」と、キリストの平和こそ、わたしたちの具体的な生き方であると、勧めがされています。このように考えれば、平和というのは、わたしたちの信仰にとって実に大切なものなのです。なんとなく平和がいいなという程度のことではなく、また平和な社会になるようにと漠然と希望するものではなく、まさしく、「平和を実現する人は幸いである」と教えられているように、わたしたちが追い求め、実現するべき生き方なのです。

今日読んでいただいた聖書の箇所には、塩について書かれていました。「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」いったい、なぜここで塩が出てくるのでしょうか。また塩と平和とどう関係があるのでしょうか。わたしたちにとって、塩というと、そのままでは辛いとか、健康によくないというマイナスイメージがあります。でも、ご承知のように、塩は生命の維持のためにかかすことができないものです。

山上の説教に、「あなたがたは地の塩である」という有名な言葉があり、地の塩について前にも説明したことがあります。塩、それはただ塩味を付けるだけというか、塩辛くするだけに使うのではありません。殺菌作用とか、保存作用とか、そこから宗教的な清め、仏式の葬儀のあとで清めの塩をつけるとか、そのような役割があります。旧約聖書のエゼキエル書には、生まれたばかりの子どもに塩を塗るという話があって、実際的な意味よりも、きっと宗教的な清さを与えようとしたのではないかと推測します。

そしてわたしが塩の役割として特に大事に思うのは、今日の箇所に書かれていたことです。「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」この箇所を、以前に用いていた口語訳聖書は、「あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」とあります。「互いに和らぎなさい」わたしはこの訳の方が、塩の働きをよく表現しているように思います。塩、それは和らぐ働きをします。

たとえばぜんざいを作るときには、砂糖をたっぷりと入れるのですが、その時にほんの少し塩を入れます。そうすると甘さが引き立って、おいしさが増すのです。これはおもしろい働きだと思います。塩味を付けるというよりも、むしろ他の味にとけ込んで、他の味を引き立たせるという働きもあるのです。塩饅頭というのがあります。塩だけで味付けられているのなら、とても食べられたものではありません。塩饅頭といいながら、実際にはたくさんの砂糖が使われていて、そこに適度な塩が加えられているのでしょう。

塩はけっして主役ではなく、奉仕者として、しかも他の味にとけ込んで、他の味を引き立たせる、そんな働きをするのです。コロサイの信徒への手紙にも塩が出てきます。そこにはこう書かれています。「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」塩で味付けられた言葉、それは塩辛い、厳しい言葉ではありません。そうではなく、快い言葉だと、パウロはコロサイ書で言っています。これも口語訳聖書で読むと、「 いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」となっていました。辛らつな言葉ではなく、やさしい言葉なのです。快い言葉、やさしい言葉、それは他ならず、他と和らぐことから生じる言葉であるはずです。

塩の役割、それは他と和らぐこと、そして互いに平和に過ごすことにほかなりません。主イエスが山上の説教で「あなたがたは地の塩である」と語られたとき、それは、目立たないけれども無くてはならない存在だという意味とともに、他とやわらぐもの、平和のために働くものであるようにとの、祈りがあったと思えます。旧約聖書の民数記と歴代誌下に「塩の契約」という言葉が出てきます。塩の契約、他者との間にパートナーとしての契約を結ぶときに、塩が用いられたと思われます。

今日の箇所には、「塩に塩気がなくなれば」と書かれています。塩に塩気がなくなることなどあるのだろうかというのが、読んだときの最初の感想でした。解説書には、パレスチナで取れる岩塩が、地質の関係で塩気を失うことがあると説明されていました。本当のところはよくわかりません。むしろ、今、塩の契約ということを言いましたが、せっかく互いの契約を結んだのに、その関係が壊れたならば、塩気がなくなるというのが、直接の意味と思えます。また、せっかく地の塩と呼ばれているわたしたちなのに、互いに平和に過ごすことを忘れ、やわらぐことを忘れたならば、塩気がない状態ではないかと、そういう警告ではないでしょうか。

さて、今日の箇所でもうひとつ、どういう意味かと考えさせられる言葉があります。それは49節の「人は皆、火で塩味を付けられる」という言葉です。これはどういう意味でしょうか。煮たり、焼いたりして調理した食べ物に塩味をつけることことでしょうか。あるいは、塩を精製するときに、天日に干したり、大きな釜で何時間も煮詰めるということをしますから、そのようなことでしょうか。この言葉には、なにかそういう背景があるわけですけれど、それとともに、ここで用いられている火という言葉には、具体的な迫害や艱難の意味があると考えられます。

マルコはここで、極めて具体的に、襲い来る迫害や艱難のなかで、あなたがたの信仰が精製されると述べているのです。主イエス・キリストは、十字架への道を歩まれるなかで、わたしたちへの愛をあらわしてくださいました。そしてわたしはここで、今日最初に話をしたことと関連づけてここを考えたいと思うのです。それは、わたしたちの国が、敗戦という大きな艱難によって、平和の尊さを知ったということです。

わたしたちは、あの戦争の体験をとおして、平和の大切さをいやというほど知りました。日清日露など、戦争に勝っているときには、一人ひとりの悲しみや痛みはかき消されていきました。明日出征するという人も、戦争は嫌だということを許されない時代でした。ただ黙って、絵筆に心を託すしかない時代でした。そして、戦争に負けることによって、はじめて本当に大切なものが何であるかに気付かされました。わたしたち日本は、この体験によって、いわば知らずして、塩を自分たちの内に持つことができたのです。

ただ、戦後64年という歳月がたって、今ではその塩気がなくなってきています。いったい、何によって塩に味をつけるのか、塩味を取り戻すことができるのかというのが、今の時代、今の社会の状況ではないでしょうか。

主イエス・キリストは、わたしたちのために十字架についてくださいました。ヨハネ第一の手紙に書かれているように、わたしたちはそのことによって愛を知りました。十字架という悲劇、人間のもっとも恐ろしい苦しみを主が負われることによって、わたしたちは、愛を知ったのです。この出来事はまた、主イエスご自身が、地の塩となってくださった出来事でした。そしてその愛に生かされ、わたしたちも「自分自身の内に塩を持ちなさい」と勧められています。そして「互いに平和に過ごしなさい」と勧められています。

           (2009年8月2日礼拝説教)