番町教会説教通信(全文)
2009年4 「目を上げて見ると」           牧師 横野朝彦

マルコ16・1−7

イースターおめでとうございます。主のご復活の朝、共に礼拝をささげることができることをうれしく思います。

今、聖歌隊が合唱してくださいました。水野源三さんの作詞、川口耕平さんの作曲です。「霧がしだいに晴れて来て 山々が姿表す こんなすばらしい朝に 主は主はよみがえられた 空高くひばりが鳴き出し 露にぬれてすみれが咲く こんな美しい朝に 主は主はよみがえられた 早起きの人が笑顔で 朝のあいさつをかわしあう こんなうるわしい朝に 主は主はよみがえられた」

「こんな美しい朝に」という題のすてきな詩です。イースターの朝を歌ったこの詩がわたしはとても好きです。イースターには朝が似合います。クリスマスがイヴの夜とキャンドルが似合うとすれば、イースターはやはり朝です。復活の主イエスと最初に出会ったのは、朝早くに墓に出かけて行った女性たちでした。お読みいただいた聖書の箇所には、「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った」と書かれています。ヨハネによる福音書には、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」と書かれています。実際には何時ごろだったのでしょうか。

「朝早く」、それだけを聞くと、すがすがしい感じがします。でも本当の所はどうだったのでしょうか。墓に出かける彼女たちの気持ちは、「美しい朝」とはとても言えない状態、すがすがしいなどとはとても言えない状態であったと思います。なんと言っても、愛する主イエスが十字架上に死なれて、彼女たちは悲しみにくれていたのです。彼女たちの心を支配していたのは、ただただ悲しみでした。あれほど慕っていた主が死なれたということへの恐怖であったと思われます。しかも、彼女たちが墓に到着するやいなや、大きな地震がおこったということです。まったく恐ろしいとしか言いようのない出来事が、マリアたちにおこったのでした。ですから、彼女たちにとって「こんな美しい朝」どころではなかったはずです。それは朝早くというだけでなく、ヨハネが言うように、「まだ暗いうちに」でした。それは空が暗いというだけではなく、彼女たちの心のなかを表現しています。

彼女たちは、主イエスの伝道旅行について歩いていた人たちです。主イエスを慕って歩んできました。でもその慕ってきた主イエスが十字架に付けられた。それだけでなく、もっと恐ろしいことがありました。というのは、イスカリオテのユダの裏切り、弟子たちの逃亡と、主の弟子たちまでが主を十字架に追いやってしまった。ほかならず、自分たちの仲間が主を死においやり、また彼らはいざというときに逃げてしまった。また一番弟子といわれていたペトロまでが主イエスのことを知らないと言い張ってしまった。このことはとてもショックであったはずです。

この出来事によって、人間の弱さや罪深さが明らかにされてしまいます。ここで彼女たちは、自分たちの内側にある暗闇を知るのです。自分を守るためならば、愛する先生でさえ売り渡してしまう、自分を守るためならば、固く誓ったはずの約束さえ破ってしまう、裏切ったり、逃げてしまったり、主イエスを知らないと言ったり、ああこれでどうして人を信じることが出来るか。主イエスの十字架の出来事は、愛する主イエスが十字架につけられるという恐ろしさだけではなく、自分の弱さ、自分の罪があらわにされ、自分の罪に恐れおののく出来事であったのです。まさに辺りがまだ暗いというだけではなく、心の中は真っ暗だったのです。

このように、主イエスの墓に向かう人たちの足取りは重く、辺りがまだ暗かっただけではなく、彼女たちの心はまだ真っ暗の状態でした。それは話してきたように、愛する主イエスが亡くなられたという暗さ、自分たちの弱さや罪深さがあらわにされた暗さ、そして主イエスが語っておられたことを聞いていなかった不信仰という暗さです。

でもこのような暗さの中にある私たちに、神さまは思いがけない出来事を用意してくださっていました。墓の入り口には大きな石が置かれ、墓をふさいでいます。彼女たちの力でそれを開けることはできません。ところが、あとで申しますが、石は入口のわきへ転がしてあったのです。そして彼女たちがなかに入ると、天使でしょうか、白い長い衣を着た若者がいます。16章5節以下、「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

真っ暗だった彼女たちの心に、朝の光が射し込んでくる瞬間です。きっとこのとき、周囲も、そして彼女たちの心も朝の明るさが美しく輝き出したのだと思います。「霧がしだいに晴れて来て、山々が姿表す。こんなすばらしい朝に、主は主はよみがえられた。」朝早く山々を霧が覆っていたのが、時間が経つにつれて霧が次第に上のほうに昇っていきます。

ずいぶん前のことですが、山々に囲まれた小さな村の、小さな教会に泊めてもらったことがあります。そのとき、朝周辺を散歩していて、深く覆っていた霧が次第に昇っていく様子を見ました。しかも霧が覆っている部分と、霧が晴れた部分が、くっきりと分かれていて、自然の変化が手にとるように見えました。地方によって、地域によって当たり前の光景なのだと思います。でも海辺の町で育った私には、それは感動的な体験でした。私はまだ霧が残っている山の上のほうを見上げながら、自然の変化の美しさ素晴らしさに感動し、これからさらに霧が晴れて、山々が姿を現す様子を思い浮かべたのでした。

水野さんの詩は、実によく、復活の朝の情景をあらわしていると思います。もちろん、主イエスの墓のあったところと、水野さんが歌った自然環境は大きく違うことでしょう。にもかかわらず、私はここに復活ということの大切なことが歌われていると思えてなりません。まだ闇が覆うなかを墓に向かう女性たち、朝早い空気は冷たく、彼女たちの心も暗く閉ざされていたことでしょう。大好きだったイエス様が死んでしまわれた。しかも十字架という恐ろしい刑罰によって。なんということだ、これから私たちはどうすれば良いのか。せめてイエス様のお体に香油を塗ってさしあげたい。さあお墓に行こう。でも、洞穴になった墓には大きな石の扉がある。あの石をどうやって除ければいいのだろう。彼女たちは、どうすればよいか分からないまま、それでも主イエスの傍に行きたい、ただそれだけの思いで墓に向かったのです。

16章3節以下を読みます。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。」この箇所を読んで、なんとなくおかしいと思いませんか。「目を上げて見ると」とありますから、彼女たちは墓に到着していたと思われます。そしてこの大きな石をどうやってのけようかと相談をしている。ですから彼女たちの目に墓の扉は明らかに閉まっていたのです。ところが、ふと目を上げると、石は既にわきへ転がしてあり、扉は開いていたというのです。これは不思議な描写です。

大きな洞穴に人間の背丈くらいもある石が扉のように置かれているのですから、それが開いているか閉まっているかくらいは、見ればすぐにわかるはずです。にもかかわらず、彼女たちはそれがわからず、目をあげてみると開いているのに気がついたという。この不思議な描写には、大切なメッセージがあると思います。

聖書には、目の向き、体の向きを変えることによって、何かを見いだすということがしばしば語られています。復活の記事で言えば、ヨハネによる福音書で、復活の主イエスがマグダラのマリアに「マリア」と呼びかけられ、マリアが振り返る場面があります。彼女は振り返って復活の主を認めたのでした。

旧約聖書創世記22章に、神さまがアブラハムに息子イサクをささげよと命じられる話があります。愛する子をささげよとの命令にアブラハムは悩みます。でも、彼は神さまの命令に従い、イサクをささげる決心をします。ところがそのとき、神さまがアブラハムを止め、アブラハムは一頭の雄羊を見いだすのです。結局イサクの代わりに雄羊をささげることになります。これは「主の山に備えあり」というよく知られた御言葉の由来となっています。

アブラハムが羊を見つけたときのことを聖書はこう書いています。新共同訳では「アブラハムは目を凝らして見回した」となっていますが、口語訳では、「この時アブラハムが目をあげてみると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた」となっています。「目を凝らして見回した」では、なんとなく探し回ったとう感じですが、「目をあげてみると」、この言葉のほうがわたしはいいように思います。

目を上げる。この言葉が、新約聖書の他の箇所でどのように使われているかを調べると、実に興味深いことが分かります。例えば、主イエスは5つのパンと2匹の魚でたくさんの人を養われましたが、そのとき、主は「天を仰いで賛美の祈りを唱え」てパンを裂きます。そしてこの「天を仰いで」というのが、墓に到着した女性たちが「目をあげて見ると、石は既にわきへ転がしてあった」の「目をあげて」と同じ言葉なのです。あるいは目の見えない人を癒されたとき、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われたと聖書に書かれています。「エッファタ」は、「開け」という意味です。そしてここでも「天を仰いで」と書かれていますが、これも今日の箇所の「目をあげて」と同じ言葉です。つまり、目を上げたというのは、単に視線の方向を意味しているのではなく、天を仰ぐ、神さまを仰ぐを意味しています。

朝早く、周りはまだ暗く、心も闇が覆っています。これからどうしてよいのか、まったく分からない。まさに大きな石が行く手を邪魔しているような、そんな状況です。けれども、そこで目を上げ、神さまのほうを向いたとき、墓の扉である大きな石は、既に転がり、墓は開かれていたのでした。そしてそこで彼女たちは、主は甦られたという喜びの知らせを聞いたのです。

もっとも、彼女たちはまだこのことによって十分に信じたのでも、安心をしたのでもなかったようです。彼女たちはひたすら驚き、また恐れをいだきました。けれどもそれは、今日最初に紹介した詩の言葉で言うならば、「霧がしだいに晴れて来て」、真実が姿をあらわすさまであるかのようです。山が麓から少しずつ姿をあらわし、やがて全貌が明らかになるとき、彼女たちの心も、美しい朝のように晴れ渡ることでしょう。

水野さんの「こんな美しい朝に」の詩を最初に読みましたが、水野さんが作られた「こんな美しい朝に」は二つあります。どちらも同じころに作られたもののようです。もうひとつの詩は次のようなものです。「空には、夜明けとともに 雲雀(ひばり)が鳴きだし 野辺には つゆに濡れて すみれが咲き匂う こんな美しい朝に こんな美しい朝に 主イエス様は 墓の中から 出てこられたのだろう」

どちらも主イエス・キリストの復活を歌った、すがすがしい気持ちにさせられる詩です。ところが大変面白いことに、この詩を作った直前に水野さんは、歯が痛くて夜眠れなかったという詩を書いておられます。面白いというと語弊があるでしょうけれど、「夜明けとともに雲雀が鳴きだし」と主の復活を歌ったうたの直前に水野さんは歯が痛いという詩を作っておられるのです。詩の終りの部分だけを読みます。「むし歯の痛みは増すばかり 神様のみ名をたたえて ひばりの鳴き出す ひばりの鳴き出す 夜明けが待ち遠しい」

 水野さんはだいぶ歯が悪かったようです。でもそれだけではありません。似たような詩にこんなのがあります。「歯が痛む夜 咳が出る夜 麻痺が起こる夜は 夜明けが待ち遠しい あと五時間 あと四時間 あと三時間と 夜明けを待っている 主よと呼びながら 朝の光 雀の声を待つ」 今、「麻痺が起こる夜」とありました。水野源三さんは9歳のときに赤痢にかかりました。水野少年が通う長野県坂城町の小学校で55名、町全体で286名もの赤痢患者が出るという大変な騒ぎとなりました。そして水野さんは脳膜炎を併発し意識不明となり、10数日後に意識を取り戻したとき、全身の自由を奪われていたのです。

以降、目と耳以外の機能はすべて失われ、身体を動かすことはもちろん、話をすることもできなくなりました。先程面白いなどと言ってしまい、まことに不適切な言葉でしたが、水野さんにとって、夜明けを待つ心というのは、どんなに狂おしいほどのものであったかと思います。狂おしいほどに朝を待ち望み、そして霧がはれ、雲雀が鳴き出す。それはなんと美しい朝でしょうか。

水野さんは12歳のときに、お母さんが目の前に置いてくれた聖書によってキリストと出会い、キリスト者となります。また50音表の文字をお母さんが指をさし、それに水野さんがまばたきをすることで意思をあらわす方法を編み出します。水野さんが作った詩のすべては、まばたきによって伝達されたものです。水野さんは「まばたきの詩人」と呼ばれました。一時期、雑誌「信徒の友」の投稿欄に毎月のように水野さんが書かれた詩が入選し、掲載されていたのを思い出します。そしてこのように多くの人に感銘を与え、水野さんは1984年、47歳で亡くなられました。

水野さんの詩をいくつか紹介します。「有難う」という題の詩。「物が言えない私は 有難うのかわりにほほえむ 朝から何回もほほえむ 苦しいときも 悲しいときも 心から ほほえむ」 「悲しみよ」という題の詩。「悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう お前が来なかったら つよくなかったら 私は今どうなったか 悲しみよ悲しみよ お前が私を この世にはない大きな喜びが かわらない平安がある 主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ」 

最後に、「私は私らしく」という詩。「神さまの 大きな御手の中で かたつむりは かたつむりらしく歩み 蛍草は 蛍草らしく咲き 雨蛙は 雨蛙らしく鳴き 神さまの 大きな御手の中で 私は 私らしく 生きる」

水野さんの生活の範囲は家の中の一部に限られていました。歯が痛む夜、咳が出る夜、麻痺がおこる夜、それは主イエスの墓をふさぐ石に比べてもおかしくないほど、重く大きなものだったでしょう。けれども、水野さんは上をみあげ、天を仰ぎ、霧がしだいに晴れて、山々が姿を現すさまを見ておられました。「こんなすばらしい朝に 主は主はよみがえられた」 水野さんにしてみれば、この詩に、美しいメロディがつけられ、教会の礼拝で歌われるなど、作られたときには想像もされていなかったに違いありません。

昨年の秋に、雑誌「信徒の友」の日毎の糧の欄に、坂城栄光教会という教会が紹介され、「当教会には『水野源三氏資料コーナー』がありますが、これが福音の前進のために活用されることを願っています」と書かれていました。水野さんが天に召されて早20年余りが経ちますが、今もなおキリストを証しし続けておられるという思いを強くいたします。

水野源三さんの詩集は4冊あります。その第2巻に「主にまかせよながみを」に、「こんな美しい朝に」が収録されています。そしてこの本の序文を三浦綾子さんが書いておられます。序文のタイトルは「復活を信じる明るさ」というものでした。水野さんが重度の脳性麻痺で、まばたき以外に自分の力でできることは何もない、そんな状態にありながら、明るく美しい歌を作り続けたのは、復活を信じる明るさであったと聞いて、なるほどと思いました。水野さんはその明るさをもって、日々喜びをもって生きられました。なによりも美しいことは、主が私たちと共にいてくださるということ、復活の主がわたしたちと共におられるということを信じ得た喜び、信じ得た美しさではないでしょうか。

(2009年4月12日 礼拝説教)