番町教会説教通信(全文)
2007年2月 「イエスのうながし」             牧師 横野朝彦


ルカ9・10―17

孤児の父と呼ばれた石井十次については、前にもお話をしたことがあります。1865年、明治維新の直前、慶応元年に生まれた十次は、1914年、大正3年に49歳で亡くなっています。医学校の学生であった22歳のときに診療所の代診に行ったさきの大師堂で巡礼の親子に出会います。そのとき、母親から子を預かってほしいと頼まれて引き取ったのが、孤児の父と呼ばれる彼の働きの最初です。この大師堂は今も残っており、文化財に指定されています。このときほかにも2人の子を預かり、お寺の一角を借りて、孤児教育会という名前で始めました。社会福祉とか、養護施設というよりも、十次はこの子たちに教育をしてあげたいという気持ちが強かったようです。

彼は日本の社会福祉の最初の人でしたけれど、彼自身に社会福祉事業をしようなどという気持ちがあったとは思えません。事業をしようとするならば、当然先の計画を立て、今後の経営を考えなければなりません。しかし彼は事業として考えていたのではなく、目の前の子どもの窮状に手を伸べることだけを考えていたようです。その後各地の孤児を収容し、人数が増えていきます。すぐに60人、80人という人数になります。当然そうなるとお金がかかります。何もしなくても食べさせるだけで大変なことです。

ある日、とうとう米や麦が尽きてしまいます。十次は子どもたちを伴ってお寺の裏の墓場に行き、そこで熱い祈りをささげます。祈り終えて引き揚げると、そこにアメリカ・ミッション・ボードから派遣された宣教師ジェイムス・ペティーの妻が、アメリカからの寄付金31円を携えてやって来たのでした。当時では大金です。まさに祈りは聴かれるということを十次は体験をし、孤児救済の道が神に与えられた道であることをいよいよ確信するに至ります。

 石井十次はお寺の一角を借りて孤児院を始めましたが、このお寺の墓場で彼はいつも祈っていたそうです。彼はいつも同じ場所にひざまずいて祈っていたために、彼の膝が当たる部分だけ草が生えなかったといいます。いくぶん伝説的な話ですけれど、そこだけ草が生えない、それほどに彼は熱心に祈ったのでした。

 もちろん彼は祈っていただけではなく、費用をまかなうためにたくさんの努力をしました。全国の駅に孤児院のための献金箱を置いてもらったり、音楽幻燈隊というのを作ったりしてお金を集めました。そうこうするうちに、倉敷紡績の創業者であり、大原美術館の創設者である大原孫三郎と出会い、その後援を得るようになります。

しかし後援を得たからといって孤児院経営が安定したわけではありません。明治の終わりころ、東北を飢饉が襲ったとき、わが子を捨てる親が続出します。十次は現地に足を運び、子どもたちを引き取り、その結果、孤児院の人数は1200人に及びました。1200人もの子どもたちを養うなど、到底できるはずのない、無謀なことです。それにもかかわらず十次が孤児を受け入れ続けたのは、やはり彼の信仰であったと思います。

 今から紹介する話は、日本基督教団荒川教会のホームページに載せられている「キリスト教人物小伝」に書かれていたことです。そのまま読ませていただきます。

「東北地方から孤児受け入れが始まる頃、十次は大病(腸チフス)を患います。闘病は一ヶ月に及びました。この病苦と闘っている時、十次は一つの幻を見るのです。イエスさまが大きなかごを背負って現れました。そのかごには数百人の子どもがいっぱいに入っています。それなのに後ろに20人ほどの大人がいて、なおも外に残っている200〜300人の子どもを次々とイエスさまのかごの中に押し込んでいたのでした。溢れている子どもたちを全部入れ終わると、イエスさまは『もう済んだのか』とおっしゃり、静かに立ち上がりました。そして、十次もそのイエスさまのかごに手を掛け手伝って運んだ、という幻です。十次は、この幻をこのように受け取りました。『自分は大勢の子が次々と来てどうなるか心配しているけれど、[孤児院を背負っているのはお前ではなくキリストだ。お前は、孤児院は狭くてもう子どもを入れることはできないと思っているが、今見たとおりいくらでも入る。お前は心配せずにありたけの力を出してかごの底に手を掛けて手伝いさえすればよい]と黙示をもって教訓を垂れたもうた』のだと。」

これもまた伝説化された話のように思えますが、ここに十次の信仰がよく表されています。彼は孤児院という事業をおこなったのではなく、また経営をおこなったのでもなく、神さまがなさることの手伝いをしていたのです。孤児院は、十次が亡くなってのち、ほとんど以前のような形での継続はできなくなりました。今も宮崎県と大阪市に石井記念と名の付いた施設や病院がありますが、1200人もいた孤児院は形としては無くなっています。それも、十次が初めから、自分のしていることを事業とは思っていなかったからではないでしょうか。

石井十次について語られるとき、どうしても、1200人もの孤児がいたのですよと、人数の多さが語られ賞賛されます。それはそのとおりで賞賛に値することです。でも、ここで思わされることは、十次は1200人も集めようなどとは考えてもおらず、彼にとって目の前の一人の孤児の面倒を見ること、それ以上のことではなかったと思えます。

主イエスは100匹の羊のうち1匹がいなくなった譬を語られました。ここで可笑しなことを申しますが、仮に99匹がいなくなったとします。主イエスは99という数を問題とされたでしょうか。そうではなく、失われた大切な1匹の積み重ねが99であるはずです。話が変わりますけれど、わたしは杉原千畝さんのことを思い出しました。1940年、リトアニアの日本領事館の前にはおびただしい数のユダヤ人が並んでいました。ナチスの迫害によりポーランドから逃れ、日本の通過ビザを得ようとする人たちでした。領事代理であった杉原さんは、日本本国の命令に背きながら、ユダヤ人の命を救うためにビザの発給を続け、杉原さん自身が国外退去命令を受けるまでの僅か1ヶ月半の間におよそ6000人のユダヤ人の命を救いました。杉原さんはキリスト者でした。6000人もの人間を救おうなどとは考えてもおらず、ただ目の前のひとりの命を助けようとしたことが6000人を救うことになったのです。

さて、今日は5000人に食べ物を与えるという主イエスの奇跡物語を読んでいただきました。これは教団の聖書日課にしたがって選んだものです。5000人の給食と呼ばれるこの出来事については、これまでにも何度かお話をしたことがあります。5つのパンと2匹の魚しかないのに、5000人が食べて満足するなどそれこそ有り得ない話です。体の不自由な人が主イエスの言葉によって癒されるのは有り得ることでしょう。しかし5つのパンがどうやって5000人を養うのでしょうか。

わたしはこれまでにこの奇跡物語をとおして色々な視点から話をしてきました。社会福祉の団体などが、初めは本当に何も無いところから出発したのに、人のつながりと支え合いによって大きな働きになった例であるとか、あるいはまた、教会の会堂建築などで、もととなる資金がまるで無く、銀行の人もあきれていたのに、建物が建ってしまった。借金も予定より早く返すことができたといった具体的な例から、5000人の給食の話は本当なのだというように、わたしはこれまで話をしてきました。石井十次がおこなった孤児院の働きもまさにそのようなものでした。祈りのあるところ、たとえ5つのパン、2匹の魚しかなくても、神様は大きな養いをしてくださるのは事実だと思います。

そしてそれとともに、今日の聖書の箇所を改めて読み直して感じたことは、主イエスにとって5000人という数字にどれほど意味があったのだろうかということでした。ちょっと横道にそれますが、聖書には男5000人と書かれています。女、子どもは含まれていないと、この表現は大変に評判が悪いのですけれど、これはこの当時のものの考え方、数え方です。家系図などでも普通男を家主、戸主と考えます。そこで一説によると、これは男性だけが5000人ということではなく、5000世帯もの人たちが集まっていたということです。

それはともかく、主イエスにとって5000というような数字にどれほど意味があったでしょうか。5000ではなく、目の前の一人ひとりがお腹をすかせ、また養いの必要であることを覚えておられたのだと思います。11節に、「イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」と書かれています。主イエスはまさに一人ひとりと向き合っておられ、それが1200人とか5000人とか考えてはおられなかったのではないでしょうか。まさしく、どの一人もが失われた一匹として、主イエスによって癒され、養われていたのです。ましてや、主イエスはこのことを事業とか、経営ということでしておられたのではありません。

けれども、ここで弟子たちは主イエスの心、主イエスの愛を理解していなかったようです。彼らは事業とか経営を考えていたのでしょうか。弟子たちは主イエスに進言をします。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」弟子たちは、こんな大勢の人間とこのままいると大変なことになる、解散させて皆それぞれ自分で宿を見つけ、食べ物を見つけさせなければ、そう考えました。

カトリックの晴佐久神父は説教集のなかで、弟子たちのこの言葉は最近はやりの「自己責任」ということだと語っておられると聞きました。なるほどその通りだと思います。「努力した人が報われる社会」というのが今の政府の言い分ですが、逆に言えば、報われないのは自己責任ということでしょうか。社会福祉の関係者が最近等しく言われるのは、福祉が自立支援という言い方に変わり、本当に福祉を必要とするかたに届いていないということです。自立支援、これはまさに「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう」という考え方なのだと思います。しかしそのような弟子たちに対して主イエスは言われます。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」

弟子たちはこの言葉を聞いて戸惑います。人里離れたところにこんな大勢の群集と一緒にいてどうするというのだ、手元にはパンが5つと魚、おそらく燻製かなにかでしょう、魚が2匹あるだけ、ほとんどゼロに等しいものしかないではないか。こんな非力な我々に何ができると言うのか。彼らは自分たちの限界を考え、出来ることと出来ないことを計算します。出来ないというのが弟子たちの共通理解です。しかしそれではせっかく主イエスを慕い、御言葉を聴き、癒してもらおうとした人々、失われた一匹一匹である人々は散り散りになってしまいます。再び集まることは難しいことでしょう。

そこで主イエスは弟子たちに命じて人々を座らせます。そして16節にあるように、主イエスは「5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」のでした。ここで主イエスがなさったこと、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンをさいて弟子たちに渡し、配らせということから、ここに聖餐式の原型を見る人もいます。

ルカ22章の最後の晩餐の場面には、「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」さらに24章でエマオに行く途上の弟子たちに復活の主イエスが姿を現してくださった場面でも同じように描かれています。「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かった。」

 このことを考えれば、主イエスがしてくださったことは、今のわたしたちにも伝えられ、つながっている出来事だと分かります。それが聖餐式に結びつけるかどうかは別としても、天を仰ぎ、賛美の祈りを唱えるところ、主はわたしたちを養ってくださるということです。そして、わたしたちにも「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じておられるのです。5000人を養うような、わたしたちには到底できないような大きなことであっても、5000人という人数に目や心を奪われるのではなく、飢え、渇き、癒しを必要とする一人ひとりに心を向けて、主がパンを裂いてくださる、そのパンを配ることのお手伝いをするのです。最後の晩餐において主イエスは、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」と言われましたが、それを考えるならば、主がご自身をささげてくださっている、その愛をわたしたちは配る手伝いをするのです。

 ここで話を、今日の聖書の箇所の最初のほうに戻したいと思います。9章の初めの部分で、主イエスが12人の弟子たちを町や村に宣教に派遣されたとの記事がありました。9章1節によれば、主イエスが彼らに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能をお授けになった」のでした。そして今日の箇所9章10節で、「使徒たちは帰ってきて、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた」のでした。派遣された町や村から帰ってきたというなんでもないような報告ですが、ここに少々引っかかりを感じます。

 弟子たちは、「自分たちの行ったことを」イエスに告げたといいます。どうも弟子たちはとんでもない勘違いをしているのではないでしょうか。つまり、自分たちのしたことを、自分たちの力でしたと勘違いしているのではないでしょうか。ルカ福音書と同じ著者による使徒言行録14章に、パウロとバルナバの二人が伝道旅行を終えてアンティオキアに帰ってきたときのことが書かれています。そのときのことが、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのこと・・を報告した」と書かれています。「自分たちが行ったこと」ではなく、「神が自分たちと共にいて行われたこと」です。またパウロはローマの信徒への手紙15章で、「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません」と言っています。

 このように比べてみると、弟子たちが「自分たちの行ったこと」を告げたというのが、彼ら自身の勘違いであると言った意味がお分かりいただけると思います。そして、神さまの助け、主イエスの働きを忘れてしまったところでは、5000人の人たちを前にして、自分たちには出来ないと考えた彼らの考えはある意味で当然なのです。ここに彼らの限界、信仰的行き詰まりがありました。そうではなく、石井十次が幻のなかで見たように、「お前は心配せずにありたけの力を出してかごの底に手を掛けて手伝いさえすればよい」、これこそ弟子たちに与えられ、そして今のわたしたちに与えられている主イエスのうながしなのです。

(2007年 2月18日 礼拝説教)