番町教会説教通信(全文)
2006年2月 「イエスは町の外へ」            牧師 横野朝彦

マルコ1・40―45

今日お読みいただいたのは、主イエス・キリストが重い皮膚病にかかっていた人を癒すという出来事です。ここで最初にお話をしておかなければならないのは、おそらく皆さんが持っておられる聖書の多くは、この箇所を「らい病を患っている人をいやす」という見出しになっており、本文でも、「らい病を患っている人が、イエスのところに来て」となっていると思われることです。

このことについては週報の裏面にも書いておきましたが、1996年から、日本聖書協会は聖書のなかで「らい病」と訳されていたところを、新共同訳、口語訳共に、「重い皮膚病」と言い替えをしました。それは、「らい病」という言葉が、元患者さんたちにとって、差別の言葉であったこと、今も差別を助長する言葉であることが大きな理由でした。そしてそれとともに、これまで「らい病」と訳されてきた病気が、実のところ今日言うところの「ハンセン病」とは必ずしも同じではないということがあげられます。ことに、口語訳聖書では、衣服に白いカビのようなものがあれば、それは「らい病」だと、そんなことは実際にはありえないのに、そのように訳されてきました。

ですから、今わたしたちは「重い皮膚病」という訳語を用いていますが、これが本当のところ何の病気であったのかを詮索することは意味のあることではありません。新約聖書で「重い皮膚病」という場合、ハンセン病も含まれているでしょうが、それ以外の病気も多く含まれているはずです。問題は病気がなんであったかということではありません。しかしながら、ここに重大な問題があります。それは、「重い皮膚病」にかかった人は、宗教的に汚れていると考えられたことです。そして家族からも、社会からも隔離されてきたということです。

レビ記13章を読むと、「重い皮膚病」にかかった人は次のようにしなければなりませんでした。レビ記13章45節以下、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」このように、ひどい差別と隔離がおこなわれていたのです。その点、わが国でハンセン病の患者さんたちが、強制隔離されてきた歴史と共通する面があります。特に日本では、強制隔離だけではなく、家族に迷惑がかからないようにと、多くの人は名前を変えて生活されました。隔離によって社会から捨てられるばかりか、名前を変えて、自分という人間を抹殺するようにして生きなければならなかったのです。

さて、レビ記によれば「独りで宿営の外に住まなければならない」と定められ、町から離れて住んでいたであろう一人の人が、主イエスのもとにやってきます。主イエスのうわさは町の外に住むこの人にまで届いていたということでしょうか。そして彼は主イエスのもとにやって来てひざまずいて願います。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。」病気を治してくださいではなく、清くしてくださいと頼んだのです。世間から汚れていると思われていたこの人にとって、清くされることが何よりも重要なことでした。レビ記に定められていますが、この病気は医者に治してもらって社会復帰できるのではなく、祭司に見てもらって、治っていると判断してもらってようやく社会に戻ることが許されていたのでした。

福音書には、主イエスがなさった数多くの奇跡物語が書かれています。でもお読みいただければわかることですが、イエスという方はこんなに不思議なことをされたのだ、こんなに神秘的な力を持っておられるのだというような、イエスの超自然的能力を宣伝するようなものはほとんどありません。せいぜい人々の驚きが描かれる程度です。むしろその出来事をとおしておこったさまざまな問題、例えば安息日に関する論争といったようなことに話の中心が置かれていることがわかります。

今日の箇所でも、起こった出来事は奇跡物語でありますが、ここでも、イエスさまはこんな不思議なことをされたと宣伝するような書き方はまったくされていません。奇跡そのものの報告は、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」という、たったそれだけの言葉です。この物語を言い伝えた人たちの関心、そしてこれを書き記した福音書記者の関心は、奇跡にではなく、社会から捨てられた存在であった重い皮膚病にかかった人が、主イエスと出会うことによって社会に戻ることができたということなのです。

44節、「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」レビ記にその規則があるように、祭司に体を見せて治っていると判断をしてもらい、清めのための献げ物をしなさい、そうすればあなたは元通り社会に戻ることになりますよと、主イエスは丁寧な説明をしておられるにすぎません。

前半の「だれにも話さないように」ということは、一般に「メシアの秘密」と呼ばれています。福音書を読むと、主イエスが病人を癒されても、癒された人に対して自分のことを他の人に喋るなと言われるのです。普通なら、こんなすごいことがあったのだから、皆に言いふらしなさいということだと思うのですが、主イエスは反対に、「言うな」と言われるのです。「メシアの秘密」というのは、神学用語ですけれど、イエスが救い主であるのは、十字架と復活のときまで隠されているのだという理解を表わしたものです。この神学的理解が正しいかどうかわかりませんが、少なくとも福音書の記事を読む限りでは、主イエスご自身がご自分のことを「奇跡行為者」として宣伝されることを好んでおられなかったということは明らかだと思います。

主イエスは、重い皮膚病をわずらう人に何をされたのでしょうか。述べたように、奇跡物語とは言えないほどに簡単な記述がされているだけでした。ここで重要なのは、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」という言葉だと思います。「憐れんで」とは、前にも他の箇所で説明しましたが、内臓を震わせてといった意味の言葉です。ただ上から下に憐れみをかけるというのではなく、体全体でその人の苦しみに共鳴するような言葉です。そして主イエスはこのような共感をなさったうえで、手を差し伸べられたのでした。

このことは当たり前のことではありません。重い皮膚病に関する規定はレビ記13章でしたが、民数記5章には、重い皮膚病に触れた人のことが次のように定められています。「重い皮膚病にかかっている者、漏出のある者、死体に触れて汚れた者をことごとく宿営の外に出しなさい。」ここには厳しい社会差別が見られますけれど、ここにあるように、重い皮膚病にかかっている者に触ったならば、それだけで汚れた者とみなされて、宿営の外に出されることになっているのです。つまり、重い皮膚病にかかっている人と同じに扱われ、社会から捨てられるということです。

ですから、主イエスが「手を差し伸べてその人に触れ」というのは尋常なことではありません。なぜならこれは、主イエスご自身が社会から捨てられる行為なのです。ですから、仮にこれを遠巻きに見ている人がいたとしたならば、奇跡そのものを驚くよりも、それ以前に、あれあれ、あの人は重い皮膚病の人を触ってしまったと、「手を差し伸べてその人に触れ」ということが何よりも大きな驚きであり、スキャンダルな出来事であったに違いありません。主イエスはまさにそのようなことをなさったのです。主イエスご自身が汚れた者となることによって、この人は癒されたのです。すなわちそれは、預言者イザヤが言うように、「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」という出来事でした。イザヤ書53章に歌われています。「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

ナウエンという人がいます。前にもその著作のひとつ「アダム」などを紹介したことがあります。ナウエンはカトリックの司祭であり、知的障害を負う人たちと共に生きた人です。この人の著作には人を癒すような何かを感じさせられることが多くあります。この人の著作のひとつに、「傷ついた癒し人」というのがあります。これは副題として「苦悩する現代社会と牧会者」とあり、牧師や司祭、キリスト教の教職とされるものたちが、傷ついた人たちとどのように向き合うかが述べられています。そしてこのなかでナウエンは、自ら傷を負い、主によって癒された者のみが、傷ついた者に届く、癒しの言葉を語りうるであろうと述べています。そしてまた、傷ついた人の傷を取り去ることよりは、その傷を分かち合うことを述べています。牧師であるわたしにとって、大変厳しい、しかしながら、その働きの原点を示される書物です。

2、3年前、雑誌「信徒の友」に「ハンセン病とキリスト教」という特集記事がありました。そこでひとつ記憶に残っている言葉があります。訓覇(くるべ)さんという真宗大谷派のかたが、対談で語っておられたのですが、「らい予防法」が廃止されたあと、訓覇さんが長島愛生園で、「法が廃止されて、皆さんどう変わりましたか」と質問をされたのでした。すると、返ってきたのは、「私たちが変わらなければいけないのですか」という言葉だったということです。

わたしはこの話を読んだときに、なんだか自分自身に言われた言葉のように感じました。変わらなければならないのは自分自身なのだということを、ひとことで鋭く言い表されています。差別とか被差別という問題を考えてみても、わたしたちはしばしば差別される側に変わることを求めてしまいます。彼らがもっと生活態度をよくして、言葉も改めればというようなことが、公然と語られることがあります。そうではなく、変わるべきは、差別する側の生き方であり、考え方であるはずです。そして変わることは誰にとっても、痛みを伴います。

主イエスはまさしくそのように、傷ついた癒し人として、重い皮膚病の人に手を差し伸べられました。そして、奇跡行為者として宣伝されることを好まず、黙っているように言われたのですが、癒された人は、あまりの喜びにでしょうか、このことを黙っていることができません。「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」ということです。でも、このことは結果として、主イエスにその波紋が及ぶことになります。「あの人は、重い皮膚病の人に触ったらしい」と、主イエスご自身が汚れた者として扱われることになったからです。そのため、主イエスはもはや町にいることができなくなります。45節に、「それで、イエスはもはや公然と町に入ることができいず、町の外の人のいない所におられた」というのはそういう意味です。

旧約聖書では宿営の外と書かれていました。もともと天幕をはっての遊牧生活でしたから、このような表現がされています。遊牧生活で宿営の外にいることは、野獣など外敵からの危険にさらされることであったはずです。そしてこれは新約聖書で言われている町の外についても同じだと思います。町の外という言葉から、皆さんはどのような場所を想像されるでしょうか。今のわたしたちにとっては、番町という町の外は麹町という町であったり、九段という町であったりするわけで、町の外は別の名前の町でしかありません。でも、聖書で言われている町の外がそんな意味でないのは、皆さんもお分かりのはずです。外国では多くの場合、町は城壁に囲まれていました。城壁はお城の周りだけを囲むのではなく、町全体を囲んでいました。外敵から町を守るというのが当初の目的でした。

山崎朋子さんの「朝陽門外の虹」という小説があります。桜美林を創設した清水安三牧師とその妻の生涯が描かれています。朝陽門外も、今は大都会北京の一角だと聞きましたが、もともとは北京の城壁の門の外にある、スラム街であったそうです。そこに清水夫妻は学校を建てたのでした。このように、町によって、地域によって違いはあるでしょうけれど、町の外とは、まさに捨てられたところだったのです。

ナウエンの「傷ついた癒し人」の本のなかに、エリ・ヴィーゼルについて語られたところがあります。エリ・ヴィーゼルはユダヤ人でした、強制収容所に入れられ、奇跡的に生き延びることができました。そしてその体験を書物に書きあらわし、ノーベル平和賞を受けました。ナウエンはこのように言っています。「1944年、ハンガリーのシゲトの町のすべてのユダヤ人は、駆り集められ、強制収容所に追いやられた。今日では著名な文学者であるエリ・ヴィーゼルもその中の一人であった。彼はナチによるあの大量虐殺からまぬがれ、20数年後にふたたび故郷に帰ってきた・・彼は次のように記している。『私はシゲトの市民に対して、昨日までの隣人を追放したことについても、隣人を拒否したことについても腹を立てはしなかった。私が怒ったというのなら、それは隣人を忘れ去ってしまっていたということについてであった。こんなにも早く、こんなにも完全に・・ユダヤ人たちは、町からだけではなく、時間からも追放されてしまったのだ。』

重い皮膚病にかかった人々だけではなく、今日、わたしたちはさまざまな形で、人を町の外へ追い出しているのだということが、この記述から思わされました。町から、時間から、そして人々の記憶から、わたしたちは隣人を忘れ去り、捨て去っているということでしょうか。

話を戻し、主イエスは、まさしくこのように捨てられた存在として、町の外におられた、それが今日の物語の語っているところです。ご自分は立派な宮殿に住み、綺麗な服を着て、貧しい人を憐れまれたのではなく、主イエスご自身が傷ついた癒し人として、町の外におられたのです。このことは、今日の物語だけではなく、聖書のほかの箇所からもわかります。マルコ12章では「ぶどう園の譬話」があります。ぶどう園の主人が愛する息子をぶどう園に送ったところ、農夫たちは、「息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」と書かれています。これも町の外と同じ意味です。ルカ4章にも同様の記事があります。それは、主イエスが会堂で語られたことについて人々が自分たちへの批判と受け止め、イエスを町の外へ追い出したという記事です。「総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」と、大変恐ろしいことが書かれています。

そしてこのような主イエスの生涯の行きつく先に、十字架があったのでした。主イエスが十字架につけられたのはゴルゴタの丘でした。そしてここはエルサレムの、まさしく町の外にありました。そしてこのことの意味をわたしたちにはっきりと伝えているのが、ヘブライ人への手紙です。ヘブライ13章11―12節、「罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。」

その昔、罪の贖いのために犠牲の動物が献げられていました。それは宿営の外で焼かれたのです。今、わたしたちは犠牲の動物をささげるようなことをしません。それは、主イエス・キリストがただ一度、十字架にかかってくださり、わたしたちの贖いとなってくださったからです。そして主イエスは、まさしく町の外で十字架にかけられたのでした。それをヘブライ人への手紙は、「イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです」と言っています。今日の物語で、主イエスが町の外へ行かれた、いや捨てられるようにして、町の外におられたのは、まさしく主イエスの十字架につながる出来事でした。そして、イザヤが言うとおり、その受けた傷によって、わたしたちは癒されたのです。

(2006年1月29日 礼拝説教)