番町教会説教通信(全文)
2005年9月 「いのち奏でる」               牧師 横野朝彦

ヨハネ15・11―17

牧師  横野 朝彦

今日の説教題は、「いのち奏でる」としました。実はこれは、神奈川新聞に「かながわ人間劇場」として連載された読み物のタイトルをそのまま使わせていただいたものです。昨年3月から7月にかけて、「いのち奏でる」という連載がされました。わたしはその新聞のコピーを読む機会が与えられ、とても心打たれました。この連載の第一部は「学びをつくる」という題で、2004年1月3日に亡くなられた大瀬敏昭さんという小学校の校長先生の話です。第二部は「五線譜に乗せ」という題で、シンガーソングライターこんのひとみさんの話、そしてこんのさんが大瀬さんの小学校で歌われたときのことなど。第三部は「芽吹きのとき」という題で、大瀬さんが亡くなられたあとの小学校のことなどが描かれていました。

わたしは先だって、新潮社から出された「いのちの授業」という本を手に入れ、読みました。これは神奈川新聞に連載されたものを、おもに第一部と第三部を編集加筆したものです。それから、毎日新聞社の川久保美紀さんという記者が「いのちのリレー」という本を今年の夏にポプラ社から出版しておられまして、これは川久保さん独自の取材によるものですが、内容的には「いのちの授業」と多くが重なっています。わたしはこれらを読みまして、どうしても礼拝の場でご紹介したいと思い、今日取り上げさせていただくことにしました。

大瀬さんとその学校での取り組みについては、わたしは見る機会がなかったのですが、NHKスペシャルで放送されて話題を呼んだそうですので、ご存知のかたもおられるかと思います。大瀬さんは神奈川県茅ヶ崎市教育委員会の指導課長でしたが、1998年に新しく茅ヶ崎市立浜之郷小学校が開校されるにあたり、校長となります。この学校は教育の新しい姿を求めて設立されました。「学びの共同体」という理念が掲げられ、教えるのではなく、子ども自身が学ぶということが大切にされたのです。その成果は目に見えて現われ、日常から見学者が絶えない学校となりました。研究発表のときには全国から1000人以上が集まるほどになります。

ところが、学校創立の翌年の1999年、大瀬さんは胃がんを宣告され、手術を受けられます。そして手術を受けた翌年の3月、卒業を前にした子どもたちを前にご自分の病気を告白し、命について語られます。「死は怖い。でも、一日一日を大事に生きようと思ったのは、がんになってからです。・・死を考えるということは、生きるということを考えることです。今日はそれが言いたかった。」大瀬さんは授業でこのように語ります。そしてこの授業はいつしか命の授業と呼ばれるようになりました。

一時はよくなったかのように見えた病気も、再発をし、2002年の2月には余命3ヶ月から6ヶ月と宣告をされます。そしてその直後におこなわれた授業のことが、「いのちの授業」の冒頭に書かれています。長いですが、ごく一部を省略して、ほとんどそのままお読みします。

「2003年4月30日の3時間目。神奈川県茅ヶ崎市立浜之郷小学校の4年1組で、校長の大瀬敏昭さんはいすに座り、子供たちと向き合っていた。『身近な人を亡くした人はいますか?』 数人の子供が手を挙げた。大瀬さんは一人の男の子に尋ねた。『どうして亡くなったの?』『原因は分からない』右隅に座っていた別の男の子が言った。『がんじゃないの』 つぶやきを聞き逃さず、大瀬さんが問いかける。『なぜそう思ったの』『今の医学ではなかなか治せないから』 別の男の子が言った。『がんの部分を取っちゃえばいいんだよ』 大瀬さんは、静かにうなずき、語り始めた。『校長先生は、3年半前、胃にがんが見つかり、胃を全部取ってしまいました』 『ほんと?』まゆ根を寄せる子、胃のあたりを触る子。教室はすぅーっと静かになった。ボーダーシャツの男の子が目をしばたたかせ、大瀬さんを見つめた。 『がんがほかの場所に移ったらどうなるの』眼鏡を掛けた女の子が口を開いた。 『移ると、大体だめなんだ。ほとんど死んでしまう』『校長先生は?』『移っちゃったんだ』『えっ!』 ざわめきが広がった。『でも、校長先生、学校に来てる』眼鏡の女の子が不思議そうな顔をしている。大瀬さんは立ち上がり、ショルダーバッグの中に入っているポンプや、栄養剤の入った袋を見せた。ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外すと、右胸からカテーテルが伸びている。約8ヶ月前の9月上旬、手術で挿入したものだ。子供たちに見せたのは初めてだった。『ここからね、栄養を入れるんです。お医者さんも、〔生きているのは不思議だ〕と言っている。でも、学校でみんなにエネルギーをもらっているような気がするんだ』大瀬さんは黒板に向かい、『いのち』と書いた。・・・

『限りある命=一人の命』そう板書した。日誌には、死んだカマキリが残した卵のことも書かれていた。『この卵の中の命って、何だろう?』 『新しい命』『生まれてくる命』…。『つながっている命』グレーの長そでシャツ姿の男の子が言ったその言葉を、大瀬さんは黒板に記した。『今から、一冊の絵本を読みます』 『わすれられないおくりもの』 大瀬さんはショルダーバッグを左肩に掛け、立ったまま朗読した。アナグマのおじいさんが死んでしまった。残された森の仲間たちは、どう悲しみを乗り越えていくか。アナグマから教わったハサミの使い方やスケートの滑り方、ネクタイの結び方、パンの焼き方など、みんなは思い出を語り合った。・・・

朗読が終わった。大瀬さんが問い掛けた。『今のお話で、アナグマのおじいさんの命はなくなったけど、もう一つの命のことを考えてほしいんだ』子供たちが声を上げた。『助け合う命』『思い出のなかに生きている命』…。外国籍の親を持つ男の子が小さな声を出した。『永遠の命』 大瀬さんは大きくうなずき、ひときわ大きな声で、叫ぶように言った。『それにしよう!』 力強く板書した。」

大瀬先生の命の授業は全部で19回続きました。一般的な話として、命の尊さを教える授業というのは、どこの学校でもおこなわれていると思います。特に現代のように、命が簡単に奪われていく悲しい事件が続発するなかで、学校教育のなかでも命の尊さはさまざまな方法で教えられていることでしょう。しかし、大瀬先生の授業は命について考えながら、それらとは重要な違いがありました。それは、命とは何かという大きな問いを子どもたちに与えるとともに、大瀬先生ご自身は、もっと大きなものを見ておられたからです。

それが何かと言えば、先ほど引用した文章の最後にあった、永遠の命ということです。大瀬さんは命の授業のなかで絵本をいくつか用いておられます。人が死んでも人々の心のなかに永遠に生き続けるという絵本、「わすれられない贈り物」のほかに、地に落ちた葉っぱが土壌となって新しい葉が芽生えるという絵本「葉っぱのフレディ」、小犬のうんちが愛情いっぱいに土に染み込んでたんぽぽを咲かせるという韓国の絵本「こいぬのうんち」など、命が死によっては終わらないことを子どもたちに投げかけています。そしてまたその投げかけを子どもたちがしっかり受けとめていることが、子どもたちの感想文によって知ることができます。

そして大瀬さんの命の授業をこのような方向に向かわせたのが、ご自身の病気であったのは確かだと思います。病気をすることによって、大瀬さんは学校の運営そのものに新しい視点を導入されます。1998年に開校したときの学校の教育理念は「学びの共同体」でした。教えるのではなく、学びあうということを基本にすえられ、授業内容もこれまでとは違うものとなっていきました。学校を入った正面の壁には、「私はあなといます 私はあなたと 学び育ちます」と書かれた額が掛けられているそうです。素晴らしい言葉だと思います。ところがそのような教育理念を、大瀬さんは開校4年目にして修正されます。それは、学びを通したケアと癒しという新しい理念でした。大瀬さんは次のように言われます。「学校には、問題の解き方が分からずに苦しんだり、家庭や親、友達、さまざまなことで悩む子供たちがいる。このような子供に手を差し伸べ、その解決に向かって一緒に立ち向かい、『共に気付いていく』」 このように、学校を学びの場であると共に、癒しの場として位置付けていく、このようなことを考えた教師がいたこと、特に管理職という立場の校長がいたことに大きな驚きを覚えます。これもまた自らのご病気によって得た新しい視点、弱者への共感です。

癌の再発がわかり、余命3ヶ月から半年と宣告されたその日の晩に、大瀬さんは息子さんから手渡された一冊の本を読みます。それは、山形謙二さんが書かれ、キリスト新聞社から出ている「隠されたる神〜苦難の意味」という本でした。息子さんご自身が、お父さんの病気をきっかけに教会に通うようになったのでした。なお、お母さんもまた脳腫瘍になり、大きな手術をなさっていました。そのようななかで教会に通うようになり、神さまと出会ったのでした。そして大瀬さんもまた、この本を読み、数日後に、教会に初めて行かれたのでした。

それから、大瀬さんと息子さんと、牧師と3人での勉強会が始まります。また礼拝に出席されるようになります。そして2002年3月31日、イースターの日に、大瀬さんはキリスト者となる洗礼を受けられたのでした。「いのちの授業」の一部を読みます。

「洗礼を受けた敏昭さんは、さらにノートにこう記した。『主のお恵みによって生かされ、歩む者として、また神中心の信仰を与えられ、教会生活を人生の柱としてくださるようお願いいたします』、『浜之郷小学校も4月6日、新入生を迎え、5年目の学校づくりがスタートします。どうか、全校の子供たちの豊かな学びが保障され、子供一人ひとりの上に主の導きの御手がありますように』 新しい“永遠の命”を授かった喜びが満ちていた。敏昭さんはこのころから、周囲の人に『病気になってよかった』『弱さの意味や、勝ち負けの無意味さを知った』と言い始めた。価値観の“大転換”が起きたようだった。」

大瀬さんが余命を宣告されたその日の夜に読んだ本、「隠されたる神〜苦難の意味」には、「応えられた祈り」という祈りの言葉が書かれていました。大瀬さんはこの言葉に深く感動をされたようです。この祈りはもともとニューヨークにあるリハビリテーションの待合室の壁に掛けられている言葉だそうで、それが、広く知られ、紹介され、わたしも何冊かの本でこの詩を読みました。作者は不詳です。なお、精神科医の工藤信夫先生の本には、南北戦争を生きたひとりの兵士の作であると書かれていましたが、詳しくはわかりません。いくつもの翻訳がおこなわれていますが、わたしの手許にある訳でお読みします。

「大事をなそうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、つつしみ深く従順であるようにと、弱さを与えられた。より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、よりよきことができるようにと、病弱を与えられた。幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった。人生を享受しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中に言い表せない祈りは、すべてかなえられた。わたしはあらゆる人生の中で、最も祝福されたのだ。」

大瀬さんがお兄さんに送った電子メールに次のように書かれました。「病魔に襲われました。でも、結果としてよかったと思います。・・富や名声や権力を得ようと思っていたのに、病気や弱さを与えられたのです。これが、主が用意された私への『豊かな祝福』だったのです。」このようにして、大瀬さんは余命3ヶ月から半年と宣告を受けた後の人生を、キリスト者として歩まれました。学校に行って子どもたちと会うことが元気をもらうことだと言って、子どもたちに命の授業を続けられました。そして余命宣告から2年後の2004年1月に天に帰っていかれたのでした。

大瀬さんの命の授業は、公立の小学校の授業としては異例とも言える内容であったと思います。特に、大人でさえ難しい永遠の命という考えを子どもたちに考えさせようとしたのですから、生易しいことではなかったはずです。しかし大瀬さんの授業目標というか、願いはさらに深まりました。亡くなられる半月ほど前、大瀬さんにとって次の大きなテーマは、「自己犠牲と愛」というものでした。ことに、これより前に起こった新大久保駅で韓国人留学生が線路に落ちた人を助けようとして死んでいった出来事を反芻しながら、大瀬さんは聖書に答を見出そうとしていました。そしてその答が、今日皆さんに読んでいただいた聖書の箇所でした。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

けれども、この言葉は人の心を打ち、なるほどそのとおりだと思うものの、これほど難しいものはありません。自己犠牲ということが、そうしなければならないというものであるならば、それは愛ではなく、律法であるからです。

話が広がりますが、自衛隊のイラク派遣にあたって、北海道で招集された部隊が、三浦綾子さんの「塩狩峠」が例にあげられ、あのように他者のために命を捨てることが尊いことだと訓示されたという話を聞きました。三浦綾子さんが生きていたら、このような訓示にどれほど嘆かれることでしょうか。

「いのちの授業」を読むと、大瀬さんは次のような言葉を残しておられます。「死に至るまでの生き方を抜きにして、最後の一瞬だけを取り上げて美化してしまうと、他者に自己犠牲を強いることになります。そうではなく、自己犠牲というのは愛によって生きてきた結果である、と思うんです」、「新大久保の事故を素材に、あなたは身を投じるのか、投じないのかを問うのではなく、あなたはそれまでどう生きてきたのか、どう生きたらよいのか」。

今日お読みいただいたヨハネによる福音書15章の御言葉は、決して自己犠牲を他者に強いる言葉ではありません。そうではなく、わたしたちがなによりもまず、愛によって生きるようにという促しであると思います。聖書を見ていただくとお分かりになるように、今日の箇所は15章1節の「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」という有名な御言葉に続くところです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と教えられているように、わたしたちはぶどうの幹である主イエスにつながることによって、豊かに実を結ぶことができるのです。その場合、枝であるわたしたちが幹につながるというよりも、幹から枝が生まれたのであり、そして養分も、与えられているというべきです。

この、ぶどうの木の譬話に続けて、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という、今日の15章12節があるのですから、わたしたちが互いに愛し合うことは、これは律法ではなく、主イエス・キリストの愛から出てくることだというのは明らかです。15節で主イエスは、「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と言ってくださっています。そして、「友のために命を捨てる」という13節の言葉も、こうしなければならないという掟なのではなく、友のために命を捨てられたイエス・キリストが、わたしたちの幹としてつながっていてくださることから来ているのです。

大瀬さんもまた、主イエス・キリストというぶどうの木につながった一人でした。主イエスご自身が幹となってくださって、愛を注いでくださいました。大瀬さんは大きな病にかかることによって、その愛に気付き、自らその愛に生きようとされました。御自分の最後がどのようなものであるのか、それがどのような死になるにせよ、それまでをどう生きてきたのか、どう生きたらよいのかと、自らに問いながら生きた一人の信仰者の証しがここにあると思います。そして、子どもたちに、同僚の教職員に、そればかりかわたしたちにまで、永遠の命の一端を垣間見させてくださったのです。

(2005年9月11日 礼拝説教)