番町教会説教通信(全文)
2005年8月 「平和への道」                牧師 横野朝彦

ルカ19・41―44

今日は日本基督教団の行事暦で平和聖日と定められています。昨日は8月6日、広島に原爆が投下されてちょうど60年の記念の日でした。明後日9日には長崎の原爆記念日を迎えます。60年といえば、還暦、暦がめぐる年でありますが、あのときのことを、今のわたしたちの問題として想い起こす、想起しなければならないと思わされます。

先週、広島県廿日市市にある清鈴園から、機関紙「清鈴」が届きました。清鈴園は、日本基督教団が1967年におこなった「戦争責任についての告白」、いわゆる戦責告白の精神にもとづいて設置された原爆被爆者養護老人ホームです。日本基督教団西中国教区が運営の主体となって、「西中国キリスト教社会事業団」を作っています。また現在では、廿日市高齢者ケアセンターなど、地域社会福祉に活動の幅を広げています。先週機関紙「清鈴」が届いたのですが、毎年この季節の「清鈴」には、入所しているかたの被爆体験が載せられています。このたび届いた「清鈴」には、小倉さんという女性の被爆体験が紹介されていました。

小倉さんは、被爆当時35歳でした。ですから今年で95歳になられます。お寺の裏道を歩いているときに大きな物音がしたので、思わず地面に伏せ、恐る恐る顔を上げてみると、お寺の屋根の向こうに大きなきのこ雲が見えたということです。幸い、爆心地からは離れていたようですが、娘さんが消息不明で、毎日毎日娘さんを探して広島を歩きまわられました。ですから、直接の被爆とともに、二次被爆を受けておられるようです。

小倉さんは次のように語っておられます。「今でも思い出すと涙が出るのですが、小学校の校庭の大きな木の下に子どもがいて、わたしの方に『おばちゃん、水、水をちょうだい』と呼びかけてきました。・・・末期の水かとも思い、何とか水をあげたいと思いました。『水、探してくるからね』と言ったのですが、どこに水があるかも分からず、また娘の行方を必死に探している時でしたので、とうとう水をあげることが出来ずに、そのまま別れました。そのことは、60年経った今でも忘れることが出来ません。」小倉さんは別の場所でも同じような体験をしておられます。「娘はおらず、広島大学のあたりまで行っても見つかりませんでした。広島大学でも、木陰にいた大人の人から『水をください』と言われましたが、『見てきますから』と言ったものの、何もすることができず、かわいそうで涙が出ました。」

小倉さんは被爆者です。原爆の被害者です。けれども、60年経った今も、あの時あの子に水をあげることができなかった、あの人に水をあげることができなかったと思っておられます。これは言わば大きな悲しみを体験したかたに共通する気持ちだと思います。愛する家族を天に送った人が思うのは、もっと何かしてあげることができたのではないかという自責の念です。それと同じ気持ちが、小倉さんのように、悲しく、辛い体験をした人には、「水をください」と言われて何もできなかったと、見知らぬ人へのすまなさとして残っておられます。

先に起こった尼崎での鉄道事故のときに、事故現場の近所の人が、「もっと助けることができたのではないか」と、自分を責めておられるのを聞きました。災害の現場などでも同じような言葉を聞いたことがあります。

わたしはこのような言葉を聞くたびに、何かそこに人間としての尊さがあるように思えてなりません。人の悲しみを自分の問題として受けとめることのできる精神はとても尊いものだと思います。戦争体験や被爆体験を語り継ぐことや、聞き継ぐことは、辛い、しんどいことですが、二度とあのようなことを繰り返してはならないという祈りとして、続けていかなければならないのだと思います。

ところがいっぽうで、今申したのとは逆の、心無い出来事がありました。広島の平和公園に「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた慰霊碑があります。10日ほど前に、この碑にハンマーで何箇所かの傷がつけられました。昨日見たテレビでは、すでに目立たないように補修されていました。傷をつけた犯人は政治結社に属する20歳代の人で、過ちという言葉が気に入らなかったということでした。3年前にも、この碑にペンキがかけられました。このところ自国中心主義というか、自分たちの国を中心とした歴史観が強まっており、碑を傷つけたり、ペンキをかけたりというのも、そのような流れのなかで起こったことだと思います。

広島、長崎を考えるときに、日本は被害者であって、過ちを犯したのは外国だというふうに考えられがちです。そのためこの言葉は、建てられた当初から論議を呼びました。過ちの主語は誰か、誰が過ちを犯したのかという論争です。この言葉は、誰が直接的な加害者とか誰が直接的な被害者ということではなく、人類が犯した過ちを誰もが自分の問題として受けとめるところにあると思います。そのため、1983年に碑の近くに広島市による説明板が置かれ、この主語は「すべての人々」と解説されています。でも、そのことはなかなか理解されないようです。過ちを誰か他の人のせいにするのは分かりやすいことですし、また自尊心を傷つけることもありません。それに対して、原爆を人類全体の過ち、自分たちの過ちとして受けとめることは難しいことなのかも知れません。

原爆は、無差別の大量虐殺です。軍人同士の戦闘行為ではありません。まさしく、罪のない人々が大勢、一瞬にして命を失われたのでした。ですから、被爆した人たちに何か問題があったのではありません。その意味ではまさしく被害者です。けれども、本当にそれだけの問題でしょうか。最初に原爆被爆者養護老人ホーム「清鈴園」に入所しておられる小倉さんのお話を紹介しました。小倉さんは、水をあげることの出来なかったことを、60年経った今も覚えておられます。あのときの申し訳なさ、すまなさを感じ続けておられます。

こういった問題は、それこそ他人事と考えたほうがよほど楽なことです。あれはアメリカが悪いとか、軍部が悪いとか、それこそ政治問題としてしまうか、あるいは「過ち」の主語は誰かと論争しているほうが楽だし、またそのほうが勇ましいのです。けれども、それでは問題は解決しません。そうではなく、あのときのことを自分の問題として受けとめていく感性こそが求められているのではないでしょうか。

さて、今日お読みいただいた聖書の箇所は、主イエス・キリストがエルサレムに入られるときの出来事です。これまでガリラヤ湖畔を中心に活動をしておられた主イエスが、エルサレムにやって来られます。そして19章41節で、「エルサレムが近づき、都が見えたとき」、主イエスはこの都のために泣かれたというのです。何を泣かれたのでしょうか。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。」エルサレムよ、おまえたちは平和への道をわきまえず、またそれが分かっていないと、主イエスは泣きながら、嘆きをもって語られたのでした。そして続けて、やがて来るべきこの町の崩壊を預言されます。

「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」エルサレムの町は、紀元70年にローマ軍によって徹底的に破壊され、この預言の言葉のとおりになります。そしてこの破壊が、なにゆえに起こったのかをこの言葉は示しています。ひとつには、42節にあるように「平和への道をわきまえていなかったこと」、そしてもうひとつは、44節後半にあるように、「神の訪れてくださる時をわきまえていなかったから」です。これは何を意味するのでしょうか。ルカがここで言いたいことは、直接的には、神さまが遣わされたかたである主イエス・キリストをこの都の人々が受け入れなかったということにあります。また主イエスが教えられた愛と平和の言葉を受け入れなかったということにあります。そして主イエスを十字架につけてしまった。ルカは都エルサレム崩壊の原因をここに見ています。

エルサレム、この町の名前は「平和の町」という意味です。先ほどご一緒に歌った讃美歌202番には、「平和の町エルサレムよ」と歌われていました。けれども、ご承知のようにここは、古くから争いの場となってきました。パレスチナの中心にあたるここは、少し大きな地図で見ると分かりますが、古代のエジプト文明の栄えた土地と、バビロンなどチグリス、ユーフラテス河沿いに栄えた土地とを三日月形に結ぶ、交通の要所です。西は地中海、東は砂漠に挟まれ、文化的にも経済的にも、そして軍事的にもいわば要になっている土地です。そのために、平和の町という名前にもかかわらず、争いの場になってきました。今も、その争いが続いています。なんと悲しいことでしょうか。

その昔、この土地は大国アッシリアの脅威にさらされていました。北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされた後、南王国ユダもまたアッシリアの侵略を目の前にしていました。そのため、南王国ユダがしたことは、南の大国エジプトと手を結ぶことでした。その後、アッシリアがバビロニア帝国によって滅ぼされ、ユダの国はバビロニアによって滅ぼされるに至り、バビロン捕囚の悲しみに直面します。旧約聖書の記述預言者が活躍をしたのは、このような時代でした。国が滅びるという危急の事態に、預言者たちが神さまの言葉を預かり語る者として、一貫して、大国に頼るのを止めよと言います。旧約聖書イザヤ書31章を読むと、次のような厳しい言葉に出会います。「災いだ、助けを求めてエジプトに下り 馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く 騎兵の数がおびただしいことを頼りとし イスラエルの聖なる方を仰がず 主を尋ね求めようとしない。・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると 助けを与える者はつまずき 助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。」

ここに、エジプト人は人であって、神ではないこと、大切なことは、主なる神を仰ぐことであり、主を尋ね求めることであると述べられていました。預言者たちが語ったことで、大切なことがもうひとつあります。それは大国が脅威であるとか、アッシリアが悪いとか、エジプトがどうとかという以前に、あなたたち自身のうちに正義と公平が失われているではないかという指摘でした。イザヤ書33章を読みます。「正義に歩み、正しいことを語り 虐げによる利益を退け 手を振って、賄賂を拒み 耳をふさいで、流血の謀を聞かず 目を閉じて、悪を見ようとしない者 このような人は、高い所に住む。その高い塔は堅固な岩。彼の糧は備えられ、水は絶えることがない。」この言葉を言い換えれば、正義に歩まず、正しいことを語らず、虐げによる利益を受け、賄賂を受け取り、流血の謀を聞いてもそれをいさめようとはしない、だからこそ今のこの悲劇が起こっているのだと述べていることがわかります。イザヤだけではなく、アモスやホセアなど、当時の預言者たちは、人々の罪を激しく告発しています。

それは最初に申したこととで言うならば、過ちを犯したのはアッシリアだとか、いやエジプトだとか、いや一部の指導者が過ちを犯したのだと責任をなすりあっている人たちに向かって、そうではない、この現在の状況は、わたしたち自身の問題なのだと、自らの罪を明らかにしているのです。旧約聖書のイザヤ書についてさらに申し上げますと、イザヤはこのあと主の僕、苦難の僕について語っています。42章には、「主の僕の召命」と見出しのついたところがあります。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ 彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。」

そしてこの主の僕の歌は、イザヤ52―53章に結実します。「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに・・・彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

イザヤはここで、人々の苦しみを自分の苦しみとして受けるひとりの僕、人々の罪を自分の罪として受けるひとりの僕について語っています。そしてこの人が受けた苦しみによって、わたしたちは癒されたと語るのです。そしてまさしくここに言われていたように、「彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ」たのです。旧約聖書の預言者が語った平和への道とは、まさしくこのようなものでした。苦難の僕、主の僕によってこれが実現すると預言をされたのです。

そして、まさしくこのようなかたとして、主イエス・キリストはこの世に来られました。誰が過ちの主語だと言うのではなく、悲しみを苦しみを、わが身に引き受けられた。それが十字架の出来事でした。誰かが傷つけられ、それに対する報復をおこない、報復の報復をおこないと、憎しみの連鎖が続くこの世界にあって、罪なきかたである主イエスが、自分の罪としてすべてを背負ってくださったゆえに、憎しみの連鎖は断ち切られたのです。敵を裁くのではなく、敵を滅ぼすのではなく、敵を愛することによって、憎しみの連鎖を終了させようとされた。ここに主イエスが自ら示してくださった平和への道があります。

エフェソ2章にも書かれています。「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

パレスチナ問題を論ずるときに、しばしば、あれはキリスト教とイスラム教との宗教戦争であると言われることがあります。いや、イラク戦争以来の状況や、いわゆるテロとの戦いも、宗教戦争のように語られることがあります。しかしそうではありません。キリスト教原理主義とか、イスラム原理主義と呼ばれるものが、排他主義として働き、国家や民族の戦争遂行に利用されてきました。わたしたちは、それに対して、そうではない、主イエスはこのような狭間において、憎しみの連鎖を断ち切るために十字架に掛けられたのだと、言っていかなければならないと思います。

富岡幸一郎さんが書かれた「非戦論」という本に、パレスチナ問題が論じられ、ユダヤ人とアラブ人の間にある敵対関係について述べられ、「憎悪の連鎖と犠牲の再生産を生み出す『政治的視点』ではなく、真に正しく『神学的視点』に立つとき」、両者の間にある近さを発見することができると述べておられました。富岡幸一郎さんの言っていることを、わたしなりの簡単な言葉で言えば、神学的視点とは、現実政治の誤りを神の前に認めていくことだと思います。人間は、誰もが過ちを犯します。そのことを神さまの前に認め、他者を裁くのではなく、罪をわが身に引き受けられた主イエスの愛に生きることこそ、わたしたちに示された平和への道にほかならないと信じます。

(2005年8月7日 礼拝説教)