番町教会説教通信(全文)
2005年5月 「強いられた恵み」             牧師 横野朝彦

使徒言行録20・17―24

カトリックの司祭、晴佐久昌英さんが「病気になったら」という詩を書いておられます。

病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢やみえっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
じぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスを
病気になったら おもいきり甘えよう
あれが食べたいといい
こうしてほしいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう
遠慮もきづかいもいらない
正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
思いやりと まごころに触れるチャンスを
病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか
忘れていた感謝のこころを取り戻し
この瞬間自分が存在している神秘
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
いのちの不思議を味わうチャンスを
病気になったら すてきな友達をつくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち
義理のことばも 儀礼の品もいらない
黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
試練がみんなを結ぶチャンスを
病気になったら安心して祈ろう
天に向かって思いのすべてをぶちまけ
どうか助けてくださいと必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう
この私を愛して生み 慈しんで育て
わが子として抱き上げるほほえみに
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親に出会えるチャンスを

  そしていつか 病気が治っても治らなくても
  みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
  甘えとわがままを受け入れて自由になり
  感動と感謝によって大きくなり
  友達に囲まれて豊かになり
  天の親に抱きしめられて
  自分は神の子だと知るだろう
  病気になったら またとないチャンス到来
  病のときは恵みのとき

この詩は、晴佐久神父ご自身が病気のときに書かれたものです。大腿骨のなかに腫瘍が見つかり、良性の腫瘍であったものの、築地の癌センターに入院をされ、手術を受けられました。入院をした最初の日の夜、何がなんだかわからずに涙があふれたそうです。それは悲しみや苦痛とは違う、赤ん坊が泣くような涙だったと、晴佐久さんは振り返っておられます。

お読みした詩を解説したり、一部分を読んで説明したりすることは、あまりよくないことだと思います。でも、お聞きになって、皆さんも感じられるとおり、ここにはとても大切なことが述べられていると思います。しかも詩という、心に響く言葉で、大事なことが述べられているのを思います。晴佐久さんは、病気がまたとないチャンスだと言います。じぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスだと言います。思いやりと まごころに触れるチャンスだと言います。さらに、いのちの不思議を味わうチャンス、試練がみんなを結ぶチャンス、すべてをゆだねて手を合わせ、まことの親、つまり天地創造の神さまに出会えるチャンスだと言うのです。

このように言うことが出来るのはまったく幸いだと思いますし、そればかりか、こうやってわたしたちが、この詩を読み、味わうことができることもまた、幸せなことだと思います。この詩は、最初に教会の機関紙に載せられました。そしてこれを読んだ人が他の人に教えたりして、次第に広まり、あちらこちらの病院に入院する見知らぬ人から、教会宛に手紙が届くようになったということです。

わたしたちが病院に誰かのお見舞いに行ったときに、一般に、どんなお見舞いの言葉をかけるでしょうか。「頑張ってね」とか、「元気出しなさい」とか、「早く治ってね」という言葉が多いように思います。ふと思い出したことは、もう随分昔の話でありますが、広島にある原爆病院をその当時の総理大臣が訪問しました。その時、総理大臣が入院患者さんに言った言葉が、「病は気からと言いますから」という言葉でした。この言葉に悪意はありません。気持ちをしっかり持ってくださいと、励ますつもりだったのでしょう。けれども原爆後遺症という、本人の気持ちとは関係のないところで重荷を背負った人に対して言う言葉としては、あまりにも不用意でした。

わたし自身は、お見舞いに行ったときに、どんな言葉を口にしているのかと思わされます。もちろん決った言葉があるはずもなく、ふさわしい言葉がなかなか出てこないで、いつも後で反省をさせられています。でも少なくとも、「頑張ってください」とは言ったことがありません。むしろ「頑張らないで」、「ゆっくり休んで」といった意味合いの言葉を口にしているのだと思います。あまりに大きな病気のときには言えませんが、「神さまがくださった休憩のときだと思って休んでください」といった言い方もします。

一般に、わたしたちは弱さを見せまいとします。弱みを見せれば負けだと、なんとか強がろうとしている、それがわたしたちの社会ではないでしょうか。けれどもキリスト教というのはおかしな宗教でして、弱さというものを隠そうとはしません。そればかりか、パウロは「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」と、第二コリント11章で言っています。弱さを、それこそ弱みであると隠そうとはせず、かえって弱さを誇るとまで言うのです。それはどうしてかと言えば、弱さをとおして知らされること、気付かされることが多くあることをキリスト者は知っており、そしてそれは弱さをはるかに上回る恵みだからです。星野富弘さんの詩に、「折れた菜の花」という作品があります。「私の首のように 茎が簡単に折れてしまった しかし菜の花はそこから芽を出し 花を咲かせた」 この歌を読むわたしたちは、その衝撃の大きさにドキッとしてしまいます。人生の挫折というには大きすぎるほどの事故。再起不可能なほどの出来事。しかしそこから新しい芽が出て、花が咲く。これは星野さんがご自身の体験を歌われた詩です。

病というのは、誰も好き好んでなる人はいません。多くの人にとってそれは突然襲ってくる不幸であり、マイナスの出来事です。自分でそうなりたいと思ったわけではなく、それこそ病は気からということでなったのではなく、仕方なく受け入れざるをえない現実なわけです。それは言い換えれば不承不承の出来事であり、強いられた事柄です。けれどもそのような強いられた出来事のなかに、恵みを見出していく、そこにキリスト教信仰の秘訣があるのです。それはマイナスの出来事をマイナスとは思わないとか、痛みや苦しみをなんとも感じないというのではありません。痛いことは痛いし、苦しいことは苦しいし、弱いことはあいかわらず弱いのです。そこで何も、泣いてはいけないとか、弱さを見せてはいけないというのではなく、涙ぐみ、かっこわるく涙をこぼしながら、それをじぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスとすることです。

パウロもまた、そのような弱さをよく知っている人でした。彼もまた、その身に病気を抱えていました。このことはこれまでにもパウロについて語るときに何度もお話をしたことがあると思います。それがなんであったのか。てんかんが持病であったという説があります、あるいは眼が弱かったという説もあります。彼は自分の病気のことでとても苦しんだようです。でも、彼は先ほど読んだように、第二コリント11章で、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」と言いました。さらに12章で、「思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました」と言うのです。そしてもう一度、「弱さを誇る」ということを繰り返して言っています。「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

パウロはこのように、自分の体に起こった不調、病を、キリストの力が自分のうちに宿るための、チャンスとして受けとめたのでした。そしてこのことは、病だけではなく、ほかのあらゆる事柄、つまりパウロにとって辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、あらゆる患難についても同様に考えます。第二コリント1章では、パウロがアジア州で被った苦難の大きさについてパウロ自身が、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」と言っています。パウロは、ガラテヤ5章で「キリストはわたしたちを自由にしてくださった」と言っています。これは律法や戒律さらには自己努力によって救われるという縄目からの自由を意味しています。しかしこのようなことを口にすることは、エルサレムを中心とした当時の宗教権力者たちにとって、とても許しがたいことでした。それゆえ、パウロはさまざまな理由をつけられ、何度も投獄をされたり、鞭打たれたりしています。けれどもそのような苦難を、パウロは誇りだと言うのです。ローマ5章では、有名な言葉、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」と言っています。

パウロの生涯は、苦難の連続でした。彼は3回にわたって伝道旅行をおこない、第1回はアジア州、現在のトルコをまわり、各地に教会を建てました。第2回と第3回は、アジア州を越えてヨーロッパ、現在のギリシアに足を延ばします。そして福音を宣べ伝えます。それと同時に第3回伝道旅行では、エルサレム教会を支援するための献金活動をおこなっています。これは、エルサレム教会が特別に貧しかったからというよりは、むしろ教会と教会との連帯ということに、パウロは特別な意味を見出していたようです。そして、3回目の旅行も終わりに近づき、いよいよ彼はエルサレムに向けて出発をしようとします。けれども、パウロのことを快く思わない人たちに狙われて、彼は命の危険さえ感じています。

今日読んでいただいた使徒言行録の箇所は、そのような状況にあるパウロについて書かれているところです。今日は20章17節以下を読んでいただきましたが、その直前のページを見ていただくと、「エフェソでの騒動」という見出しがついてます。この町で、神殿の模型が売られていたのに、パウロがけちをつけたというので、町中が大騒ぎになります。そのために彼はエフェソを離れます。20章1節以下は、「パウロ、マケドニア州とギリシアに行く」という見出しがついています。その部分を拾い読みしてみると、3節では「シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対する陰謀があった」と書かれています。こういう状況のなかで、結局旅のルートを変更したり色々と困難があったすえに、彼はミレトスというところまでやってきます。

そしてそこで、エフェソの教会の主立った人たち、長老たちを呼び寄せて、別れの挨拶をするのです。22―23節「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。」このように、彼は自分の身に起こる危険を予測し、もうあなたがたとは二度と会えないだろうと、挨拶というよりは、別れの説教、決別説教をしたのです。

そしてここで述べられている言葉には、パウロの深い心情がこめられているように思います。18―19節、「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」パウロは、自分の身にふりかかってきた試練がいかに大きかったかを述べます。また、それに対処するには、なんと自分は弱く足りないものだろうと、彼は自分の弱さに涙まで流したと告白しているのです。そしてこれからも投獄と苦難が自分を待ち受けていると予測をしています。24節の言葉は、パウロが自分の死をも覚悟していることがわかります。「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

この言葉はけっして大袈裟に言っているのではなく、パウロの本心でした。フィリピの信徒への手紙2章でパウロは、「礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます」と、驚くべきことを言っていますが、これはたぶん今日の箇所の直前、エフェソにいたときに書かれたパウロの言葉です。彼は身の危険ということを、ここまで感じていたのです。でも、パウロはそれらの苦難を、自分は喜ぶのだと言うのです。パウロは、自分の身に与えられたこと、それが病気であっても、周りからの迫害であっても、それを自分に与えられた恵みとして受けとめていたからです。

パウロは自分が弱い土の器であることを知っていました。けれども、第二コリント4章でパウロが述べているように、彼はこのような土の器のなかに、神さまがイエス・キリストの福音という宝を入れてくださったと喜んでいました。また彼は、第二コリント、4章で、「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」と、信仰にある希望について述べています。

晴佐久昌英さんは、病気を体験し、それがじぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスだと言いました。またそれは祈るチャンスであり、またまごころに触れ、あたたかい友達をつくり、試練がみんなを結ぶチャンスだと言いました。パウロも同様に、第二コリント1章で、「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」と言っています。互いに慰め励ましあうことができるのも、弱さを知ったゆえの恵みだと言うのです。

わたしたちの人生は、わたしたちの思うとおりには進みません。どうしてこのような出来事にあうのかと、嘆きたくなること、叫びたくなるようなことが起こります。病もそうです。人間関係もそうです。仕事のうえで、家庭で、どうにもならないことが次々と起こります。そして思いもかけない試練に出会っても、それを解決することのできない自分の弱さを感じずにおれません。自分という人間はなんと小さい存在だろうと思わずにおれません。やってくる試練、それは言うならば、強いられた出来事です。自分で好んで試練を受けるのではなく、言わば強制的に自分の身に降りかかってくることです。けれどもそのような強いられた出来事をとおして、わたしたちはなんらかの真実に出会うことができるのです。それは神さまが与えてくださっている恵みとの出会いです。前々から、神さまの恵みはわたしたちに与えられ、備えられていたのでしょうが、それに気づかなかったわたしたちが、試練と出会うことによって、恵みにもまた気付くこととなる。それはまさに、強いられた出来事をとおして気付かされる恵みということです。

晴佐久神父の言葉をもうひとつ紹介して、今日の話を終えることにします。「ぼくはどうしても言いたかったのだ。病気は闇の体験ではなく、光の体験だと。涙は敗北ではなく勝利なのだと。どんなにつらい病気になったとしても、人は生まれてきてよかったのだと。『病のときは恵みのとき』」 

(2005年5月1日 礼拝説教)