番町教会説教通信(全文)
2005年12月 「この世の闇路を照らし」          牧師 横野朝彦

ヨハネ1・1―14

交差点横断歩道の信号が青になると、小鳥の声がしたり、「青になりました」というアナウンスが流れたりします。京都の町で地下鉄に乗ろうとすると、地下鉄の入り口のあたりで、チャイムが鳴っています。これらは、目の不自由な人が無事に横断歩道を渡ることができるように、あるいは地下鉄の入り口がここにありますよということを示すために、設置されているものです。

今から20年近く前、わたしがハンセン病の療養所を初めて訪問したとき、通りの角々にちょうど街灯のようなポールが立っており、そこからスピーカーで音楽の流れているのを聞きました。わたしは最初うかつにも、なんのためのものかわかりませんでした。これは療養所に住む目の見えないかたのために、道しるべとなっているものです。また目の見える人にとっても、園内の住居建物は似通った作りのものが多いため、目印になっていると聞きました。

ハンセン病療養所は、療養という名のもとに強制隔離が行われていたことが明らかになり、今では療養所ではなく、元療養所と言わなければならないと思いますが、療養所では当初、そのようなスピーカーから音楽が流れるような設備はありませんでした。邑久光明園盲人会40年史、「白い道標(みちしるべ)」という本があります。白い道標とは、白い杖、白杖のことです。この本を読んでいると、1930年、昭和5年ころ、大島青松園の入所者が園内の要所要所に風鈴を吊るして道しるべとしたのが最初だと書かれていました。杖に加えて、風鈴が道しるべとなったのです。

戦争中は、頼んでも風鈴を買ってもらえなかったこと、ようやく風鈴がついても、強い風のために短冊が飛んでしまったことなど、体験した人でなければわからない苦労がたくさんありました。そうかと思えば、食糧難の時代に風鈴が盗まれ、魚釣りの錘に化けてしまうこともありました。そして戦後ようやく10年ほどしてから、電気で鈴を鳴らす電気盲導鈴というのがある団体の寄附によってつけられたのでした。

光明園におられる金地さんというかたが、その頃、1955年に書かれた文章には、あるとき自分の体の不自由さに嘆き悲しんでおられたと書かれていました。「真っ暗な洞窟の中に閉じ込められたような圧迫感に耐え切れなくなった私は裏窓を開いた。・・しだいに気持ちも鎮まり、興奮していた故か、冷たい夜風もすがすがしい。すると今までも鳴っていたであろう、電気盲導鈴の冴えた音色がチリーン、チリーンと聞こえてきた。傷ついた私を慰め励ますかのように・・。」そして金地さんはさらに、盲導鈴が、「明るい灯火を掲げ、光明への良き道しるべともなった」と述べ、また、「盲人ばかりではなく、長い長い闘病生活に疲れ果て、あらゆる愛というものを見失い、信じられなくなった晴眼者の乾いた魂をも豊かに潤していることであろう」と書いておられます。ライ予防法の問題が明らかになった今なら、おそらくまた違った文章になるのだろうと思いますが、この時代、園での長い厳しい生活のなかでようやくこのようなものが設置されたということの喜びが文章にあふれています。

今読んだ文章のなかに、「愛というものを見失い、信じられなくなった晴眼者の乾いた魂」とありました。この文章では療養所入所者の、目の見えない人も見える人もということが言われているのだと思いますが、わたしはこの言葉を広くわたしたち誰にも当てはまる言葉として読みました。わたしたちは今、なんと暗い世界に住んでいることでしょうか。そして、「明るい灯火を掲げ、光明への良き道しるべともなった」と言うことができる存在を必要としていることでしょうか。わたしたちの歩むべき道を導く鈴の音を必要としていることでしょうか。

このところ、新聞やテレビのニュースを見ていると、本当に暗い出来事が続いています。建物の構造偽造問題は、その建物に住む人たちにとっては、建物倒壊の恐怖とともにローンの支払いなど、肉体的、精神的、そして経済的に、何重もの不安を抱えておられることでしょう。そしてその建物に住む人たちだけではなく、この問題は、世の中全体を不安に落としいれた事件であると思います。真相の解明はまだまだのようでありますが、事件の報道を聞いて思ったことは、この事件が少数の人たちの仕業なのではなく、もっと世の中の仕組みというか、それこそ構造的な問題だということでした。このことは多くの人たちが感じておられるに違いありません。

イギリスやヨーロッパには、何百年前に建てられた建物がそのまま使われているのが少なくありません。一般の民家やアパートでも、100年前に建てられたというのが珍しくありません。日本でも、何百年と使われている木造建造物がありますし、明治の初めに建てられた石造りの建物が今も各地に残っています。にもかかわらず、今では一般庶民の住む家は短い年月で建て替えるのが当たり前のように思われてきたのではないでしょうか。

そんなことを考えると、日本の戦後の繁栄というものが、なんだかとても薄っぺらなものに感じてしまいます。一人ひとりは真面目にやってきたのに、社会全体としては、何か薄っぺらなものを造っては壊し、造っては壊しをしてきたのではないか、そんな気がしてなりません。

また、この一年間を振り返ると、幼い子どもの命が奪われる事件が立て続けに起こりました。被害者の家族のかたがたにとっては、まさに真っ暗な闇に突き落とされる出来事であったと思います。犯罪にはあらゆる種類のものがありますが、そのなかでも、幼い命を狙ったものは、本当にやりきれない思いと、また怒りを感じます。

けれども、わたしはまた別のことを思うのです。最近起こった事件を軽く見るつもりは毛頭ありませんけれど、考えてみれば、この種の事件は昔からたくさんあったのです。わたしが思うのは、今は報道が、日本全国どこの出来事でも瞬時に伝えられ、ワイドショーなどで恐ろしさがかき立てられています。そうしていつしか、世の中すべてが暗闇に落ち込んだような気分にさせられてしまうのです。そして出てくる意見としては、通学路を守るとか、監視カメラをもうけるとかと、社会全体の監視をするといった考え方です。

申しましたように、事件そのものの持つ暗さを軽く見るつもりはありません。けれどもわたしがそれ以上に心配するのは、社会全体の管理システムが強くなっていくことです。ただでさえ、子どもたちの自由な時間や居場所がなくなっているのに、それがいっそう狭まる傾向にある、そちらのほうの暗さを感じてしまいます。昨日の新聞に、漫画家の石坂啓さんの発言として、「余裕のない社会が、犯罪を生み出す」と書かれていました。わたしもそれに同感です。競争と管理が激しくなり、その抑圧に耐え切れないようにして事件がおこり、事件がおこったために更に管理が厳しくなるという泥沼状態にあると思えてなりません。

広島で小学生が殺害されたとき、テレビを見ていると、広島の事件現場の街角に、「あなたは犯人をゆるせますか」と大きく書かれた看板が立てられていました。目撃情報を集めるための看板だったと思います。犯人をゆるせない気持ちは百もわかります。しかし、このように町をあげて「犯人をゆるせない」と言うことがよいことなのかどうか、わたしは疑問に思います。わたしはこの看板をテレビで見たときに、なんだか肌寒い気持ちにさせられました。

このような不安の多い時代こそ、わたしたちは注意をしなければなりません。それは不安を簡単に解消させるかのような威勢のよい言葉や行動が好まれるようになるからです。今年、フランスやオーストラリアなどで、中東系の外国人移住者への攻撃がありました。不安の時代は、民族主義が強まり、敵を作り出すことが多くなります。話が大きくなりますが、わたしはこのところ日本の国で見られる対外的に勇ましい声も、同じような傾向から来ていると思います。 

昨晩おこなわれたキャンドルサーヴィスで、アシジのフランシスコの祈りを読み交わしました。「神よ、あなたの平和のために、わたしのすべてを用いてください。憎しみのあるところに愛を。あらそいのあるところにゆるしを。わかれているところはひとつに。うたがいのあるところに信仰を」と歌われていました。しかし、今の風潮は、平和ではなく争いが、一致ではなく分裂が、そして信仰や信頼よりも疑うことが、社会の価値観になってしまっていると思えます。フランシスコは、「慰められるよりは慰めることを。理解されるよりは理解することを。愛されるよりは愛することを」と祈りましたが、現実は慰めることよりも慰められることを求め、理解するよりも理解されることを好み、愛するよりも愛されることを願ってしまっています。

このようなときにこそ、ただ威勢のよい、敵を作るような言葉ではなく、真実の道しるべ、まことの光が必要であるはずです。そしてそんなわたしたちにとって、ヨハネによる福音書は闇に輝く光、あるいは道しるべの鈴のような響きを持っています。ヨハネは14章で、主イエスの言葉として、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と述べています。まさしく道しるべの言葉です。また、ヨハネ8章では、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」、12章では「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た」との主イエスの言葉が記されています。この光こそ、わたしたちを照らし、わたしたちの内面を照らし、またわたしたちの行く手を照らすのです。

ヨハネは、冒頭部分で言います。1章1―5節、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」この言葉は、いくぶん哲学的で、ひとつひとつの意味は難しいものがあります。でも、なんとなくわたしたちに共感を覚えさせるものがあります。

作家の阿刀田高さんがこの箇所について語っておられました。阿刀田さんは、「旧約聖書を知ってますか」などの著作があります。「初めに言があった」という言葉とは、読んですぐに納得できる、言葉がなければ何事も始まらない、赤ちゃんだって言葉を覚えることによって知能を発達させ、思考と理性を培っていく、自分は3、40年前はそう考えていた。阿刀田さんは、このように言われます。しかしこの箇所はそんなことを言っているのではないと述べ、この言というのが聖書のギリシャ語でロゴスであり、ロゴスとは言葉という意味のほかに、理性とか、理論、法則という意味があると指摘されます。これはそのとおりです。そして、阿刀田さんは、「人間にだけ、とてつもない理性が備わっているのは、なぜなのか。その不思議さは、絶対者としての神に属することではないのか」と述べておられました。人間の理性も、理論も、法則も、すべて神さまに属することであって、初めにロゴスがあったにもかかわらず、それをあたかも人間の力で勝ち取ってきたかのように考え、また人間の力で勝ち取れるように考えるところに、わたしたち人間の過ちがあるのかも知れません。

さて、ロゴスが理性を意味することは阿刀田さんが指摘するとおりでありますが、ヨハネは本当のところ、ここで何か言いたいのでしょうか。ここには福音書記者ヨハネの信仰告白があります。ヨハネによる福音書を読むと、主イエスのことがさまざまな表現で言い表されているのに気付きます。「わたしは命のパンである」、「わたしは世の光である」、「わたしは羊の門である」、「わたしは良い羊飼いである」、「わたしは復活であり、命である」、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」このように、主イエスはご自分のことをさまざまな言い方で表わしておられます。これらは主イエスが語られた言葉であるとともに、福音書記者ヨハネが、主イエスとはどのようなかたなのかを言い表した信仰告白でもあります。そしてわたしが思うに、これらのさまざまな言い方を、ヨハネはひとことで凝縮して、主イエスこそロゴスなのだと言ったのではないでしょうか。それを理性と訳してしまっては不充分です。言葉と訳しても不充分です。

それゆえに、ヨハネはさらに筆を加えて、言に命があった、命は人間を照らす光であったと証言をします。ヨハネはこのように、主イエスこそ神の御子であると証しをしています。そしてヨハネは、主イエスが、今もわたしたちと共にいますかたであると語っています。今もいますかたであるということは、別の視点から言えば、あるときに、例えば西暦何年に生まれたというようなかたではなく、万物の初めからおられたかたでもあるはずです。それゆえにこそ、ヨハネは、ロゴスがまさに初めからおられた。「初めに言があった」と述べるのです。そして、主イエスこそ、暗闇の中で輝く光であるとヨハネは言います。ヨハネはわたしたちの時代と社会が闇に覆われていることを強く感じています。けれども、このような闇のなかに光が永遠の昔から存在し、輝いていることをヨハネは知っているのです。

6―8節には、バプテスマのヨハネのことが書かれています。暗闇のなかにいる人々に向かって、本物の光がここにあるのだと証しをする人物です。この人は、マルコによる福音書などによれば、荒れ野に現われ、罪の赦しを得させるための悔い改めのバプテスマ、洗礼を宣べ伝えました。そしてヨルダン川で人々に洗礼を授けました。まことの光が見えないのは、人間の罪のゆえであると理解し、まことの光が見えるようになるために、悔い改めと罪の赦しを人々に求めたのでした。しかし、バプテスマのヨハネが悔い改めを求めたとき、人々はどのような反応をしたでしょうか。多くの人たちがヨハネの言葉に共感して、悔い改めのバプテスマを受けました。しかしヨハネの言葉を快く思わなかった人たちも少なくありませんでした。当時ガリラヤを支配していた王ヘロデは、ヨハネのことを、うるさい奴だと、なんと処刑してしまったのです。そして、そのような時代と背景のなかで主イエス・キリストが世に来られました。

主イエスは、飢えている人にとっては命のパンのようなかたです。いや命のパンそのものです。渇いている人にとっては命の水です。暗さのなかにある人にとっては世の光です。さらに、他の人からの攻撃にさらされている人にとっては羊の門であり、迷える人にとっては良い羊飼です。また生きる支えを失っている人にとってはまことのぶどうの木です。そして何よりも、生命力を失っている人にとっては復活であり、命であるかたです。最初にわたしはハンセン病療養所での盲導鈴の話をしましたが、主イエスがこのところにおられたなら、「わたしはまことの鈴である」ときっと言われたことでしょう。暗闇のなかを歩くわたしたちに、場所を示し、方角を示し、行く手を示して導いてくださるからです。

けれども、わたしたちはこのようなかた、主イエスをなかなか受け入れようとはしません。1章10―11節にあるように、「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」のです。光明園の金地さんは、絶望のなかにあるとき、ふと窓を開き、鈴が鳴っているのを聞きました。そして、それが明るい灯火、道しるべとなったと記しておられました。わたしたちも、窓を開いて耳を澄ましたいと思います。あるいは光をあびたいと思います。そうするとき、主イエスが共にいてくださることに気がつくことでしょう。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」このように言ってもらえる人はなんと幸いなことでしょうか。

(2005年12月25日 礼拝説教)