番町教会説教通信(全文)
2004年11月 「神の住まいとなる」            牧師 横野朝彦


エフェソ2・14―22

本日は教会創立118周年の記念礼拝を共に守ることができまして嬉しく思います。昨日11月13日がちょうど創立記念の日にあたりました。昨日、二人のかたが教会を訪ねてこられました。そのかたのお祖母さんが明治30年代にこの教会に来ていたのではないかということで、なにか分かることがあればと来られたのでした。残念ながら、何一つわかることはありませんでしたが、そのかたが調べておられることから随分教えられ、興味深いことをたくさんお話しすることができました。そのかたのお祖母さんが番町教会に出席されていたかどうかさえ曖昧で、本当のところは分からないのですけれど、しかしながら、このような、今ではお名前さえ残っていない多くのかたがたの働きやつながりのなかで、今日の番町教会があるのだと、強く思わされます。

よく言われるように、自分の親が生きている間は、親が歩んできた歴史などにはあまり関心を持たないものです。親が昔のことを喋っても、また昔の話をしているくらいにしか聞いていないものです。でも、親がいなくなってから、もっと聞いておけば良かったと思うことが多いものです。それと同じように、教会の歴史も、普段はあまり考えることもありませんけれど、でも本当のところ、それはとても大事なことであり、そのような歴史の上に今のわたしたちがあると思わされます。

先週の日曜日には、聖徒の日にあたり、永眠者記念礼拝を持つことができました。永眠者記念礼拝も、今日の創立記念礼拝も、言うならば毎年の行事であり、そのことをとおして毎年いろいろなことを教えられたり、気付かされたりしますけれど、今年は、どうしてでしょうか、わたしにとっては例年以上に、この教会の先輩たちの働きの尊さを思わされました。永眠者記念礼拝というと、どうしても、自分たちの知っている人、家族、肉親の追悼ということを考えてしまいますが、それだけではなく、名前も顔も知らない、多くの兄弟姉妹が、わたしたちにとって神の家族として与えられていることを思います。わたしは先週の礼拝の準備をしながら、特に「天上の友」のお名前を記載したプリントを用意しながら、遠い昔の信仰の先輩たちの働きについて考えさせられました。そして、今ではお名前しかわからない、あるいは名前さえわからない多くの人が、わたしたちの天上の友として与えられていることの重さといいますか、大切さを思わされたのです。

今日はそれらの兄弟姉妹のなかから、具体的なある人物について少々話をしたいと思います。わたしは番町教会に来る前に、岡山教会におりました。今日は番町教会の創立記念礼拝ですから、岡山教会のことをお話しするのは恐縮なのですが、岡山教会は1880年10月12日の創立、今年で124年になります。創立の日に27名が洗礼を受けていまして、そのときに洗礼式を司式したのは新島襄でした。そのときに受洗した人の中に、木全かよという女性がいます。そして、今度は番町教会の100年史を開いてみますと、1886年11月13日の設立の日の受洗、あるいは転入会をした信徒30名のうちに、木全かよ子の名前が見られるのです。木全かよと木全かよ子は同一人物です。わたしの前任地の教会の設立の日に受洗し、番町教会の設立の日に転入会をしていることがわかりまして、わたしはとても興味を覚えています。

番町教会の「天上の友」の印刷物では、木全嘉代子と、かよこが漢字になっており、召天年月日は不詳となっているのですが、わたしは前に、岡山県立図書館で、木全家の系図と没年月日などを手書きされたものを見た記憶があります。機会があればもう一度これを確認したいものだと思っています。もう少し詳しく申しますと、番町教会の「天上の友」のお名前のなかに、木全正脩、木全嘉代子、木全鶴子、木全理一、木全捨次、木全梅子という、木全という姓の6人がいます。このうち、わたしの記憶にあるのは、木全正脩、木全嘉代子の二人だけですが、木全正脩はかよの夫です。

岡山教会の創立の日に、かよの母大西ひでと、かよの妹大西絹も一緒に洗礼を受けています。かよの夫木全正脩は、これより遅れて洗礼を受けたようです。正脩とかよの夫婦の三男に祝(はじめ)という男子がいます。大西家の跡取が西南の役で戦死したために、三男の祝は大西家を相続します。これが哲学者大西祝です。大西祝といっても、今ではほとんど知られていませんが、大変すぐれた人であったようです。1891年から早稲田の前身である東京専門学校で教えました。わずか36歳で亡くなっていますのに、早稲田大学にとって、坪内逍遥が父、大西祝が母と称されると聞いたことがあります。

また、大西祝と親交の深かった人物として、岡山教会の第2代目の牧師であり、後に早稲田の教授となった安部磯雄がいます。岡山教会の初代牧師は、番町教会の2代目の牧師である金森通倫ですが、金森通倫も安部磯雄も、岡山在任中は大西家の離れ座敷に居住しています。なお、安部磯雄は、2年前に番町教会で葬儀をした丸山夏さんのお父さんです。

皆さんにとって以上のことにどれほど関心を持たれるかわかりませんが、わたしにとっては実に興味深く思えます。なおかつそれらが、遠い昔の話ではなく、今日のわたしたちにいろいろな形でつながりを持っている、まさに天上の友として、今もわたしたちの身近な存在でありつづけていると思うのです。

教会というのは、新約聖書の書かれたギリシャ語でエクレーシアと言います。日本語で「教会」と漢字で書くと「教える会」になりますが、これはあまりよい訳語ではありません。ギリシャ語の辞書でエクレーシアを引くと、「集会」、「群衆」、「議会」などとなっており、末尾のほうに「教会」という訳が載っていました。もともとこれは人の集まりを意味する言葉なのです。主イエスはマタイ18章において、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」と教えてくださいました。まさにこの言葉に、教会とは何かが言い表されているとわたしは思います。日本基督教団の「信仰告白」にも、「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集いなり」と告白されています。

キリスト教的な言葉遣いとして、「教会を建てる」という言い方をしますけれど、それは建物を建てるとか、宗教法人としての組織を建てるという意味ではありません。教会を建てるとは、イエス・キリストの名のもとに人々が集まるということです。そしてそこに集う者たちがどのように礼拝をし、どのように信仰をこの世に証ししていくかということです。つまり、「教会を建てる」とは、「信仰をたてる」とほぼ同じ意味なのです。

わたし個人にかかわることの話が続いて申し訳ありませんが、わたしが洗礼を受けた神戸の教会が、来週23日に教会堂の献堂式を迎えます。阪神淡路大震災で会堂が全壊して、10年を経てようやく再建にこぎつけました。その間、テント張りの礼拝堂で礼拝が守り続けられてきました。ただテントと言っても、200人以上が入ることのできる大きなものです。なぜ10年もかかったのでしょうか。震災当初は、費用の問題が心配されました。でも、巨額な費用もそのうちになんとか目途がつきました。むしろ時間のかかった原因は、再建後の教会をどのような教会にするか、それは建物の形だけではなく、教会の宣教のありかたを含めて、自分たちの信仰をどのように立てていくかの議論に時間を費やしたようです。実際には、いろんな意見の対立とかがあって、難しいことや嫌なことがたくさんあったようですけれど、それらは教会を建てるということを皆が考えるために与えられた重要な機会だったのだと思います。

目に見える建物としての教会は、それこそ言葉は悪いですが、企業努力をすれば建つことでしょう。それさえも大変だとは思いますが、でも贅沢を言わなければ、なんとか形は建つのです。でも、教会を建てるとはそんなことではありません。教会を建てるとは、信仰をたてることです。そこに集う者たちが、熱心のその教会のことを思い、たとえ小さなことでも奉仕をし、パウロがローマ12章で言っているように、「奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念し」、「教える人は教えに」、「施しをする人は惜しまず施し」と、それぞれ与えられた賜物に応じて、熱心に教会のことを考えていく、体を使っては何もできないという人も、祈ることによって支えていく、そしていっぽう、よく出来る人が大事にされるのではなく、弱いところこそが尊ばれる、そのように互いが信仰をあらわしていくことがなければ、教会は建たないのです。

今日読んでいただいた聖書の箇所は、エフェソ2章の、「キリストはわたしたちの平和」という有名なところです。この箇所はこれまでにも何度かお読みしたことがあります。また礼拝説教のなかでしばしばこの箇所を引用してきました。特に、この間、イラクでの戦争やアフガニスタンでの戦争、またパレスチナ情勢というものが、憎しみの連鎖を引き起こし、報復につぐ報復を生んでいることを思うときに、主イエス・キリストが「十字架によって敵意を滅ぼされました」というメッセージは極めて重要だと思います。憎しみに対して憎しみを返すのではなく、敵意に対して敵意を持って対するのではなく、敵を愛し、敵のために祈る愛、その究極の姿としての十字架によって敵意を滅ぼされたというこの御言葉は、憎しみの連鎖を断ち切る唯一の方法なのだと思います。

主イエスは、まさにこのようにしてわたしたちを互いに和解させてくださった。それが今日の箇所での重要なメッセージです。二つのものが互いの意見を絶対に正しいと主張しあっています。どちらもが相手を傷つける言葉を口にしています。どちらもが相手を傷つける行動に出ています。これでは何かを生み出すことはできません。ましてや教会を建てることはできません。ところがそのような対立のまん中にあって、キリストは、それらの傷つけあう言葉と行動の間にあって、自らその傷を負ってくださったのでした。このキリストに立ち返ることによって、和解を得て、教会は教会を建てていくのです。

申しましように、わたしは今日の箇所を、特に14節、16節を、現代世界の大きな課題である平和との関連で、これまでにしばしば引用をしてきました。しかし、このエフェソの信徒への手紙で言われていることは、より具体的には、教会を建てるということです。

15節には、「規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました」とあります。規則と戒律ずくめの律法というと何のことか分かりにくいですが、旧約聖書の律法というものが、人を裁くために利用されている現実を、パウロたちはよく知っていました。また、これを守るかどうかということで、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との間で対立がおこっていることにも、パウロたちは心を痛めていました。人はこうあらねばならないとか、ああすべきだとかといって人を縛り付けるもの、それを主イエスは、十字架という自己犠牲の愛によって滅ぼしてくださったのです。

あの人は外国人だとか、あの人は寄留者だとか、いろいろと人を選別し、差別し、自分たちこそ本当の信仰者だと、愚かにも誇っていた人たちがいたのですけれど、そのような愚かしさに対して、19節以下では、「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族」であると言われているのです。つまり、今日の箇所は、真の平和がどのように得られるかを語りつつ、より重要なテーマとして、教会を建てるということを語っているのです。教会を建てるという言葉がふさわしくないならば、わたしたちがどう信仰をたてるかとうことなのです。

20節に、「そのかなめ石はキリスト・イエスご自身」であると記されています。また続けて21―22節に次のように書かれています。「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」イエス・キリストがわたしたちのかなめ石であるということは、聖書のほかの箇所でも述べられているところです。第一コリント3章に、「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」と書かれています。そしてその直前には、「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」とあります。あるいはまた、マタイ7章にある主イエスの譬話、つまり山上の説教の終わりのところで、砂の上に家を建てるか、それとも岩の上に家を建てるかという話がありますが、ここで岩の上に揺るがぬ家を建てるとは、主イエスが与えてくださった御言葉を土台とすることです。

このように、主キリストを土台として、教会を建てていく、信仰をたてていくこと、それが今日の箇所でも言われているところです。21節にあるように、主キリストを土台として、互いに組み合わされていくことです。柱は柱、天井は天井と、それぞれが自己主張していては建物にはなりません。そのような自己主張を十字架によって滅ぼし、和解させる。これが教会を建てる、信仰をたてるということなのです。

そして22節にあるように、わたしたち自身が、神の住まいとなるのです。言い換えれば、建物としての教会ではなく、わたしたちの生き方自体を、神さまの宿ってくださる神殿となるように努めていくのです。わたしたちの世界には争いがあります。対立があります。けれども、主イエスが、「神の国はあなたがたの間にある」とおっしゃってくださったように、そこを主の宿るところとしていく。それはわたしたちの平和となってくださったキリストによって可能であると教えられています。

今日は、番町教会の創立記念礼拝です。118年前の11月13日に、番町教会は教会設立式をおこないました。建物としての教会はどうだったでしょうか。実は、番町教会はそれよりもはるかに前に建物を建てていました。霊南坂教会の牧師であった小崎弘道が番町で集会を始めたのが番町教会の最初でありますが、1886年1月に起工し、3月には会堂が落成したと、湯浅興三氏の書いた「キリストにある自由を求めて」にはかかれています。そして4月10日には番町講義所開堂式がおこなわれています。建物は教会設立の7ヶ月も前に出来ています。ですから、番町教会の創立はこの年の3月でもかまわないし、4月の開堂式の日を創立記念日にしてもかまわないくらいです。にもかかわらず、11月まで教会の設立は見合わせられています。それは教会設立ということが、形だけ整えばよいのではないことを、当時の人たちがよく知っていたからです。

わたしたちは、多くの先輩たち、天上の友たちの祈りと労苦によって、今ここにあります。わたしたちは、この信仰を継承し、教会を建てていきます。繰り返し同じことを申しますが、それは建物としての教会を建てることではなく、わたしたち自身の信仰をたて、わたしたちのうちにキリストが宿ってくださり、神の住まいとすることです。そしてそのために、十字架についてくださったキリストを土台とし、和解を与えられ、一つの体として組み合わされていくことです。

教会という建物に出かけて行って、そこで礼拝をして家に帰るということではなく、自らを神の住まいとしてたてていただくこと、教会創立記念日にあたり、そのことを心したいと願います。

(2004年11月14日 礼拝説教)