番町教会説教通信(全文)
2004年1月 「居場所」                   牧師 横野朝彦

ルカ2・41―52

 神の子であり、救い主である主イエスが、幼き日、若き日にどのように過ごされたのかは、人々の関心事でありました。そのためにいくつもの伝説が生まれています。

新約聖書には含まれなかった外典と呼ばれる文書のなかに、「トマスによるイエスの幼時物語」があります。イエスが5歳のとき、粘土をこねて12羽の雀を作り、「行け」と命じると雀は羽を広げて鳴きながら飛んでいったとかというような、どうも荒唐無稽と言えるような話で、イエスが幼いときから、いかに不思議な業をしたか、いかにすぐれた知識を持っていたかを書いています。12羽の雀の話などは、ファンタジーの世界に属するものでしょうけれど、なかには怖い話もあります。子どもが走ってきてイエスの肩にぶつかったため、イエスが怒り、その子は倒れて死んでしまったというような、とんでもない話があります。これが書かれたのは2世紀の終わりころで、イエスを超自然的な奇跡をおこなう神童として描き、残念ながら歴史的な信憑性はありません。

そんななかで、聖書が唯一物語っている主イエスの少年時代、それが今日読んでいただいたルカ2章41節以下です。主イエスが12歳の時、過越しの祭りを祝うために家族とともにエルサレムへ向かいます。そして神殿での礼拝をすませ、家路につくのですが、ヨセフとマリアはイエスが一緒にいないにもかかわらず、そのことに気付かないまま、まる1日を歩いてしまいました。これはありうることです。おそらくエルサレム神殿に行ったのは、村の人々総出であったと思われます。村中の人たちが出かける民族大移動でした。そのため、過越の祭りのときは、エルサレムと周辺の道は雑踏となり、人が混み合っていたことでしょう。同じ村の人たちが、大人たちは大人たちで喋りながら、子どもたちは子どもたち同士でふざけながら歩いていたと思われます。ですから、少年イエスがいなくなっているというのを、まるで気づかないで1日も旅をしてしまったとのです。

両親はさがしまわり、ついにエルサレムの神殿の境内で学者たちと話し合っているイエスの姿を見つけます。少年イエスは、学者たちと何を話し合っていたのでしょうか。先ほど紹介した「トマスによるイエスの幼児物語」にもこの話は書かれています。それによれば、「三日目に、彼が神殿で教師たちの間に座って耳を傾けたり質問をしたりしているのを見出した。みなが注意を向けて、どうして子どもでありながら律法の要点や預言者たちの比喩を解釈し、長老たちや民の教師たちの口をつぐませたりできるのか驚いていた」と書かれています。律法の要点や預言者たちの比喩を解釈し、長老たちや民の教師たちの口をつぐませたというのですから、まさしく神童というべきでしょう。

今日のルカの話も、これまでどちらかと言えば、このような神童ぶりを描いた話として読まれてきました。こんなすごい知識を持っておられたのだ。学者たちと対等に話をしておられたのだと、そんなふうに読まれてきました。でも、それなら「トマスによるイエスの幼時物語」と変わりがありません。ルカもまた、人々が少年イエスの賢さに驚いていたと記録しています。でも、今日の話の中で大切なのは、そのようなイエスの偉さではなく、むしろ後半に書かれているところ、イエスが神殿にいたこと、それはすなわち、父なる神のもとにいたこと、2章49節、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」ここに強調点があると思います。

私はこれを読むときに、子どもが成長し、親のもとを離れ、自分を確立していく姿を見ます。親の立場からすれば、子どもがいつのまにか成長をし、自分の元を離れていくのを、戸惑ってみているばかりです。しかしそれは、いつかは必要な親と子の別離なのだと思います。エーリッヒ・フロムが名著「愛するということ」のなかで、母親の愛とは、子が自分から離れていくのを耐えることにあると述べているように、子はいつかは親を離れ、ときには反抗をして、自分という人間を作っていくものです。けれども子どもの自立への過程など、大人から見ればなんとも危ういものです。聖書にも、ルカ2章50―51節には、「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。・・・母はこれらのことをすべて心に納めていた」とあります。これは主イエス誕生のときの、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」という表現と同じものです。

話を戻し、自立への時期は、多くの者にとっては大人への反抗の気持ちばかりが先走り、それでいて自分がこれからどう生きていけばよいか分からない。自分の居場所が見つけられないままに、あせりを感じるのもこのときです。特に今の時代は、子どもたちにとって、時間が無い、空間が無い、仲間が無いと、サンマがないという言葉で象徴されるように、自分の居場所を見つけることのなかなか難しい社会です。

けれどもその点において、少年イエスは自分の居場所を確かなものとして見出していました。少年イエスの、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」という言葉は、イエスが12歳のときであったということです。ユダヤの慣習によれば、13歳で律法遵守について一人前の人間とみなされるそうですから、12歳というのはまさに自立しようとしている年頃です。そのとき、少年イエスは自分の居場所が神さまのもとにあるということを確信し、またそれを表明したのでした。

ルカ8章に書かれているように、主イエスが人々を教えておられたとき、母がそこへやってきます。近くにいた人が、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」と取り次ぐのですが、主はこのとき、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行なう人たちのことである」と言われました。このように、家族の絆さえも優先順位として次に置かれるような価値観、生き方、居場所を、イエスは見ておられたのです。

ある若い牧師のことをお話しします。わたしは直接お会いしたことがありませんが、そのかたの神学校での教師にあたる人から聞きました。彼は神学部に学んでいました。卒業にあたり進路をどうするか悩んだ末に、一般就職の道を選びました。大きな会社に入りました。世間的には社会人として順調に滑り出したように見えます。でも、いずこも同じでしょうけれど、配属された仕事は、毎日朝から晩までの勤務ではすまず、夜には得意先と付き合って、家には短い時間を眠るためにだけ帰るという生活がずっと続いていました。自分を見失うというより、自分そのものがどこにもなくなってしまったそんな毎日のあるとき、ちょうどクリスマスだったそうですが、彼はたまたま夜の街を歩いていて、通りがかりに教会を見つけます。おそらく吸い寄せられるように中に入ったのでしょう。そして礼拝堂に座っていた彼は、ここに自分の居場所があったのだということに、目を開かれるようにして気付いたのです。それからしばらくして彼は会社を辞めます。そしてたしか、大学院で学びなおしたあと、牧師としての道をスタートさせたのです。

わたしはこの話を聞いて、あぁこれはわたし自身の体験と同じだと思わされました。もちろん一つひとつの体験は同じではありません。まるで違うといったほうが正確だと思います。わたしの場合は、若い頃の純粋な思いもあったのでしょうが、教会という組織や制度の持つさまざまな問題に失望し、根無し草のように、あるいは浮き草のようになってしまい、あちらこちらへとふわふわ漂いながら、最後にやはり教会や信仰に自分が生かされているのに気付いていったということだと思います。でも、今紹介した鳥取の牧師とは、個々の体験は違うけれども、さまよったのちに教会に居場所を見出したということに、共感を覚えます。

クリスマスイブの礼拝で、わたしは晴佐久昌英さんというカトリックの神父の言葉を紹介しました。「いまこのときも、わたしのために祈ってくれている人がいる」という言葉、もう一つは、「なにもできないけれど、ずっとそばにいるよ」という言葉でした。この慰めに満ちた言葉を書かれた神父はいったいどのようなかたなのでしょうか。

晴佐久さんは子どものころ、学習障害を持っていたそうです。注意欠陥、多動性障害の傾向が強い子どもで、落ち着きがなく、衝動的で、集中して何かをやり遂げることの難しい子でした。そしてその傾向は今でも残っているそうです。美術の短大に入り、卒業を控えながら、「ぼくは薄々自分がこの社会ではまもとに生きていけないことに気づいていた」と言います。そのころお父さんが不治の病になり、強い絶望を感じていきます。「真っ暗な気持ちで過ごしていたそんなある日、ぼくは風邪をひいて寝込んでいた。布団の中からぼんやり本箱を眺めているうちに、ふと聖書が目に留まった。その瞬間、ぼくにはすべてが分かった気がした。一瞬にして闇が光に変わったように感じた。」

晴佐久さんは熱心なカトリック信者の両親のもとに育ちました。「他動のぼくも、なぜかミサや祈りの間だけは無心になって落ち着けたし、なによりも、この世のどんな価値よりも尊い聖なるものがあるんだという価値観を、ごく自然に持つことができた」といいます。でも、神父になるなどただの一度も考えたことがなかったのに、風邪をひいて寝ているとき、一瞬にしてその思いが与えられたのでした。これもまた、確かな居場所を神さまによって与えられた例です。

そしてこれと同様のことは、牧師に限らず、神父にかぎらず、キリスト者の少なからぬ人が味わうことだと思います。わたしがこれまで出会ってきた多くの人たちのことを思い起こします。ある人は学校を卒業し、コンピューター関係の会社に勤めましたが、仕事の忙しさのなかで自分を見失っていきました。そんなある日、教会の礼拝に出席をし、そこに自分の場所を見出したのでした。この人は今、YMCAで主事として働いています。ある人は商社マンとして働き、年齢的にも立場的にも重要な役割をしておられましたが、大きな病気をしたことがきっかけで、自分の足元の不確かさに気付かれたのでした。そして教会の門を叩かれました。ある女性は、外国で入院をして、そのときに万一のためでしょうか「宗教は」と問われ、そのとき「プロテスタント」だと答えた自分がいた。それがきっかけで教会に来たということでした。

このように、キリスト教にこれまでつながりを持たなかった人が、確かな居場所として信仰を持つようになるということがあります。あるいはまた、長く教会生活をしていた人が、信仰の再発見というか、キリスト教の用語で言えばリバイバルを体験されることもあります。幼い頃から、あるいは大人になってから教会に集い、そのまま教会に休まず出席することができれば、それは望ましいことで、できればそのようにありたいものです。でも、仮に一時期信仰の熱意の冷めることがあったとしても、それは教会という居場所を再発見し、そこに前以上に深く根を下ろすために、必要な時期なのかもしれないと思います。

先ほど紹介した牧師は、卒業してから1年たらずで、再び神学校に戻りましたけれど、わたしはわたしの知人で、教会を離れて20年も経ってから信仰を新たにして、今熱心に奉仕しておられるかたを何人か知っています。迷える羊を導き返し、放蕩息子の帰るのを家の外に立ち続けて待っておられる主なる神さまは、決してその期間を無駄にはなさらず、万事を益としてくださるのだと思います。もちろんわたしが今申したことが、信仰の熱意の冷めることの言い訳や開き直りになってはいけませんけれど、人がそれぞれ神さまのもとに自分の居場所を見出していくために、人間的には回り道に見えても、実はそれが神さまの用意された備えであるとわたしは思わされます。

最後に、今日の聖書の箇所の解説を簡単にしておきたいと思います。1日の新年礼拝で、ルカ2章22節以下で幼子イエスが神殿にささげられた話が、主イエスが生涯にわたってご自身をささげられたこととつながっていると申しました。今日の箇所も、ルカが記したのはたんに12歳のときのエピソードではありません。ルカはこの出来事を、主イエスの生涯の終わりと重ね合わせています。

2章46節で、イエスが神殿の境内で話し込んでおられたということは、主イエスが十字架にかけられる前、エルサレムに入った直後の19章と、逮捕される直前の21章の終わりにも同じ描写がされています。また少年イエスが神殿に行ったのは、十字架にかけられたのと同じ過越しの祭りのときです。さらに、少年イエスがいなくなり3日目に見出されたということも暗示的です。聖書学者は、このほかにルカ独特の用語や単語の使い方から、少年イエスの出来事は、ルカが意識して十字架と復活とに関連付けているといいます。

十字架と復活との関連と言っても、あくまでこれは学説の一つで、そういう考えもあるのかという程度にしか受け止められないのではないでしょうか。でも、わたしは今日お話をしてきたこととのつがなりで、主イエスご自身が、十字架と復活のことを「天にあげられるとき」と言っておられることや、また十字架上の主イエスが、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われたことを思います。主イエスはその生涯の初めから終わりまで、神さまのもとに自分の場所を見出しておられたのです。

ルカ15章の放蕩息子の譬話で、弟息子は放蕩の末に父のもとに帰りました。父のもと、この譬話の言わんとするところではすなわち、神さまのもとに自分の居場所があることをようやく気付いたのでした。パウロは、第二コリント5章で、「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って」いるといいました。またフィリピ3章では、「わたしたちの本国は天にあります」言っています。

わたしたちは今、どこに自分の居場所を見つけているでしょうか。皆さんは今、教会に集い、礼拝をもっておられるのですから、その意味ではしっかりと居場所をここに見出しておられるということです。でも、場合によっては、それはいくつかの居場所のひとつなのかもしれません。

人によっては、ここが居場所でありながら、まだどこかお客さんのようにしているのかもしれない。また、自分に与えられたタラント、賜物をそこで用いていないのかもしれない。何かをすることのできる人は、その力を発揮し、できない人は遠慮なく受けるということにまだ躊躇っているのかもしれない。あるいは、今ここにおられないかたのなかには、教会という居場所の存在を知りながら、入り口で立ち止まっている人がいるのかもしれません。教会の敷居が高いという言葉で言われるように、それは教会自体の問題でもありますが、しかし同時に、その人自身が自分で持っている壁を越えていくということでもあります。

ヨハネの黙示録3章に、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」と書かれています。確かな居場所を見出していきたいものです。

(2004年1月4日 礼拝説教)