
イザヤ42・1-9
パスカルは、「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でいちばん弱いものだ。だが、それは考える葦である」と述べています。人間は一人では生きられません。傷つき易く、折れ易い存在です。保護、守りを必要とします。そのようなわたしたちに、神さまは主イエス・キリストを救い主としてお送りくださいました。主イエス・キリストは弱いものに対して叱咤激励してそれを強くするのではなく、その弱さを共に担うことによって、愛を現してくださいました。
(2008年1月6日礼拝説教)
ヨハネ6・34―40
食品偽装や毒入り餃子事件など、おかしなことばかりが続いています。聖書の言葉で、罪をあらわす単語がいくつかありますが、そのなかでもよく使われていると思える単語のもともとの意味は、「的を外す」ことです。わたしたちは、欺く弓、たるんだ弓となってしまい、矢ははるか違うほうこうにそれてしまっています。大切なことは、主イエスこそわたしたちを生かしてくださるかたであることを覚え、わたしたちの心と身体をしっかりとそちらに向けていくこと、主イエスのもとに行くことなのです。
(2008年2月3日礼拝説教)
ローマ6・1―11
新しく生きるとは、頑張って立派な人間になることではありません。信仰生活を重ねるとは、自分の信仰深さを体験するようなことではありません。信仰生活を重ねるほどに、自分の弱さや脆さがわかってくる、祈ることなしにはやっていけない自分に気づくこと、信仰深いとはむしろそのように、神さまの前に弱い自分を認めるということにほかなりません。つまり、キリストと共に死ぬとは、自分は自分の力で生きているといういわば思い上がりを放棄することではないでしょうか。
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