説教通信(要旨) 2007年



「敵を愛する 牧師 横野朝彦

ルカ6・27―36

福本武久さんの小説「新島襄とその妻」に次のような一節があります。「兄の覚馬が3日も考えこんだのは・・山上の説教のくだりを八重が話したときだった。『敵を愛せよ・・』覚馬は腕組みをして考えこんだ。会津藩士としての兄にとって、敵とは薩長である。・・『人間の生命は造物の主である神から与えられたものということになる。敵といっても同じ人間、兄弟として愛さねばならぬ、ということだ』覚馬は、藩家のため父母のため忠孝を説く儒教の教えはせまい、と言い、『両眼は失ったが、心をひらかれた想いだ』と清々しい顔を向けてくるのだった。」

(2007年 1月21日 礼拝説教)

「イエスのうながし 牧師 横野朝彦

ルカ9・10−17

社会福祉の関係者が最近等しく言われるのは、福祉が自立支援という言い方に変わり、本当に福祉を必要とするかたに届いていないということです。自立支援、これはまさに「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう」という考え方なのだと思います。しかしそのような弟子たちに対して主イエスは言われます。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」

(2007年 2月18日 礼拝説教)

「栄光に輝く 牧師 横野朝彦
ルカ9・28―36

主イエスが山の上に登られ、そこで主イエスの姿が変わったという「山上の変貌」の出来事、これは何を意味するのでしょうか。イエスが神の子であり、神々しく輝いたということだけではありません。このときモーセとエリヤが現れ、イエスの「最期」について語り合っていたとあります。主の十字架と復活にこそ神の栄光がある。これがこの箇所をとおして表された信仰告白です。


(2007年 3月18日 礼拝説教)