
エレミヤ33、14−16
時代は混迷の度を加えています。社会不安が大きくなっています。世界中争いが絶えず、日本の国でも勇ましい言葉が幅を利かせています。時代はますます暗くなるのではと恐れます。しかし、わたしたちは、公平と正義によって治められる若枝が与えられていることを知っています。それゆえどのような時にあっても、ボンヘッファーが祈ったように、「私は臆しています。しかし、あなたのみもとには助けがあります」、「わたしは動揺しています。しかし、あなたのみもとには平安があります」と祈ることができます。
(2006年12月3日 礼拝説教)
創世記18、1−5
アブラハムとサラの物語、そのなかから、サラに男の子が生まれるという約束の場面を読んでいただきました。アブラハムに語られたこの言葉を、サラはすぐ後ろの天幕の入り口で聞いていました。そこでサラはひそかに笑います。高齢になって、もう子どもが生まれるはずがない、そう思うのはごく自然です。番町教会は創立120年となります。これを新しい出発のときにしたいと考えても、120歳のわたしたちに何ができるかと、思わず笑ってしまうような不信仰なわたしたちであるかも知れません。しかしそのようなわたしたちをも神さまは顧みてくださり、新しい命を与えてくださいます。
(2006年11月12日 礼拝説教)
コロサイ1・21―29
アメリカ・ペンシルベニアの学校で銃の乱射事件があり、5人の女の子が死亡しました。死亡したのは、アーミッシュの子どもたちでした。事件が起こり、女の子たちが銃で撃たれるとわかったとき、13歳の子が「わたしから撃ってください」と進み出たのでした。そして続けて11歳の子が、「その次はわたしを」と進み出ました。13歳の子は亡くなり、11歳の子は病院で意識を回復したということです。話はそれで終わらず、アーミッシュの人たちはその日の夜に、亡くなった犯人の家族を訪問し、赦しを伝え、手を差し伸べたのでした。
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